かなり前のことになるが、ある試写室で大柄な初老の男性と、その連れである外国人女性が前の席に座っている。映画は青山真治の『月の砂漠』であり、映写の途中で主演女優のとよた真帆が出てきたとき、前の席の女性が男になにかを訊き、暗がりのなかで相手はそれに応える。
後にとよた真帆が、前の席に座る蓮實重彦夫妻の子息の幼なじみであったことを知り、試写室での夫人の動作が思い出された。
例年のように3月号は前年一年の日記リレーが巻頭であり、蓮實重彦が子息のお別れ会の時期の日記を書いている。そこにとよた真帆がごく自然に登場する。病状を尋ねたのだろう彼女からのメールに、一時間前に死去したことを知らせ、あわせて悔やみのメールをしないでほしいと返信すると彼女はそれを守る。数か月後の船上でのお別れ会では、とよた真帆は誰よりも力強いあるいは優しい遺族への慰め役だったようだ。だがそこにもう一人の遺族はいない。膝を痛めたこと、そしてみだりに涙顔を見せたくないために死者の母親は出席しなかった。
他のどの場でもなく、こうしたリレー日記のなかに著者にとって最大の私的事件の記述がはさみこまれた経緯は知らない。だが単独の文章では、何かそぐわなさにつきまとわれると思った。まぎれることで鎮魂たりえている。
ざっと見て、他に古井由吉と柄谷行人の日記をまず読む。円城塔の連作『文字渦』が完結したが、リレー日記のほうの円城塔はやさしい。逆にいうと、（公表を前提とした）日記を書くのは難しいものなのかもしれない。
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