映画だとかを題材にして高校生と大学教授がお話するという仕立てで本が進む。
取り上げられている映画もいずれも大変味わいがある。仕事や生活・雑事にエネルギーをとられて、長い間、こういうふうに、じっくりと味わい深く、映画に向き合うことをしてこなかったなぁ、と感慨深い。
ゆったりとした時間を取って、じっくりこの本を味わって楽しもうという気概のある読者には大変楽しい本だ。楽しく読んでいる。
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誰のために法は生まれた 単行本 – 2018/7/25
木庭 顕
(著)
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購入オプションとあわせ買い
追いつめられた、たった一人を守るもの。
それが法とデモクラシーの基(もと)なんだ。
★紀伊國屋じんぶん大賞2019受賞!
★未来を切り拓く最強のヒント
著者は、ローマの人々が何を問題としていたのかに立ち返って考えるという大胆な企てを、中高生と共に始めてしまった。
ギリシャ・ローマの人々がある時、「どうしたら社会の中で力の要素がなくなるだろうか」と考える、その地点に生徒を連れて行く。
〔…〕著者の投げる周到な問いが、現代に生きる若い知性と生き生きと響き合う。
〔…〕憲法9条について、著者の分析は呆れてしまう程見事。実力行使を正当化する全経路を絶つべく、
いかに厳密な論理で書かれているか、初めて得心できた。すごい本だ。――加藤陽子(毎日新聞書評より)
替えのきく人間なんて一人もいない――
問題を鋭く見つめ、格闘した紀元前ギリシャ・ローマの人たち。
彼らが残した古典作品を深く読み解き、すべてを貫く原理を取り出してくる。
この授業で大切なことは、感じること、想像力を研ぎ澄ませること。
【最先端の知は、こんなにも愉快だ! 中高生と語り合った5日間の記録】
映画を観たり戯曲を読んだりのあと、中高生との対話がはじまる。
さぁ、本当の勉強をはじめよう。
「教養どころじゃなく、自分の価値観とか、ぜんぜん、すごい変わる授業」
「人生の大事な一部分になりました」――生徒
それが法とデモクラシーの基(もと)なんだ。
★紀伊國屋じんぶん大賞2019受賞!
★未来を切り拓く最強のヒント
著者は、ローマの人々が何を問題としていたのかに立ち返って考えるという大胆な企てを、中高生と共に始めてしまった。
ギリシャ・ローマの人々がある時、「どうしたら社会の中で力の要素がなくなるだろうか」と考える、その地点に生徒を連れて行く。
〔…〕著者の投げる周到な問いが、現代に生きる若い知性と生き生きと響き合う。
〔…〕憲法9条について、著者の分析は呆れてしまう程見事。実力行使を正当化する全経路を絶つべく、
いかに厳密な論理で書かれているか、初めて得心できた。すごい本だ。――加藤陽子(毎日新聞書評より)
替えのきく人間なんて一人もいない――
問題を鋭く見つめ、格闘した紀元前ギリシャ・ローマの人たち。
彼らが残した古典作品を深く読み解き、すべてを貫く原理を取り出してくる。
この授業で大切なことは、感じること、想像力を研ぎ澄ませること。
【最先端の知は、こんなにも愉快だ! 中高生と語り合った5日間の記録】
映画を観たり戯曲を読んだりのあと、中高生との対話がはじまる。
さぁ、本当の勉強をはじめよう。
「教養どころじゃなく、自分の価値観とか、ぜんぜん、すごい変わる授業」
「人生の大事な一部分になりました」――生徒
- 本の長さ400ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日出版社
- 発売日2018/7/25
- 寸法13 x 2.6 x 18.9 cm
- ISBN-104255010773
- ISBN-13978-4255010779
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商品の説明
著者について
一九五一年、東京に生まれる。一九七四年、東京大学法学部卒業。東京大学名誉教授。専門はローマ法。著書に、三部作『政治の成立』(一九九七年)『デモクラシーの古典的基礎』(二〇〇三年)『法存立の歴史的基盤』(二〇〇九年、日本学士院賞受賞、以上東京大学出版会)、『ローマ法案内――現代の法律家のために』(羽鳥書店、二〇一〇年/新版、勁草書房、二〇一七年)、『現代日本法へのカタバシス』(羽鳥書店、二〇一一年/新版、みすず書房、近刊)、『[笑うケースメソッド]現代日本民法の基礎を問う』(二〇一五年)『[笑うケースメソッドII]現代日本公法の基礎を問う』(二〇一七年、以上勁草書房)、『法学再入門 秘密の扉 民事法篇』(有斐閣、二〇一六年)、『憲法9条へのカタバシス』(みすず書房、二〇一八年)ほか。
登録情報
- 出版社 : 朝日出版社 (2018/7/25)
- 発売日 : 2018/7/25
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 400ページ
- ISBN-10 : 4255010773
- ISBN-13 : 978-4255010779
- 寸法 : 13 x 2.6 x 18.9 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 23,128位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 372位哲学 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ローマ法の大家である著者が、中高生30人余を相手に、映画、演劇(戯曲)、最高裁判例を材料にして、ギリシャ・ローマ時代の法の生成や発展を講じる連続授業の記録。
扱われた資料は、映画が「近松物語」、「自転車泥棒」、戯曲がプラウトゥス「カシーナ」「ルデンス」、ソフォクレス「アンティゴネー」「フィロクテーテース」、判例は「占有保持請求本訴ならびに建物収去土地明渡請求反訴事件」「自衛隊らによる合祀手続の取消等請求事件」。
「……グルになってる集団を徹底的に解体して、追い詰められた一人の人に徹底的に肩入れするのが、本来の……法です。(p.63)」と著者は述べるが、このように、「法」についての一般的な定義や人々の持っている感覚とかなり離れた(それが原理的ということなのかもしれない)ところで本書の授業が進むせいか、内容的にはかなり難解。本書のキーワードを一つ挙げるとすれば「占有(原理)」なのだろうが、これもまた通常の「占有」に対する感覚とはずれがあるように感じられ、私は混乱した。
また、全体に、ギリシャ・ローマ時代の政治・経済・社会の状況を知らなければ理解が難しいのではないか(というか、私にとって本書が難しかったのは、それらの知識が欠けているからか)と思った。
映画、演劇(戯曲)を扱った回では、これらの古典作品への著者の愛は伝わってくるが、それと法・政治にかかわる議論とはちょっと距離がある印象。ただ、芸術作品を題材にして社会科学を学ぶというスタイルは興味深い。
著者は、同業の他者には辛辣で、
「……法律家も、大学の先生も、そもそも法が何を解体するつもりなのかということをわかっていないんだから。忘れているんだから。問題は何ですかということを理解しないまま、どういう場合にどういうふうにどっちを勝たせるか、みたいなことばっかり勉強させられる。(pp.63-64)」
「……『占有』という概念です。……これは君たちは知らないと思う。私がガーガー言っているんだけれど、日本の大多数の法律家も本当の意味を知らない。(p.121)」
「大体一六〇〇年前後に国際法が出来上がるのだけれど、ジェンティーリとかグローティウスとかが、占有を含むローマ法の概念から国際法を組み立てた。……とはいえ、彼らの占有理解は不十分だったのです。(p.371)」
等々と語る。うーん、他の法律家や大学の先生(やグロティーウス)に反論を聞きたいところである。
「アンティゴネー」と自衛隊合祀拒否訴訟とが、「死者(とその人をかけがえのないものとする)生者に関わる問題」という点で共通することにハッとさせられた。
扱われた資料は、映画が「近松物語」、「自転車泥棒」、戯曲がプラウトゥス「カシーナ」「ルデンス」、ソフォクレス「アンティゴネー」「フィロクテーテース」、判例は「占有保持請求本訴ならびに建物収去土地明渡請求反訴事件」「自衛隊らによる合祀手続の取消等請求事件」。
「……グルになってる集団を徹底的に解体して、追い詰められた一人の人に徹底的に肩入れするのが、本来の……法です。(p.63)」と著者は述べるが、このように、「法」についての一般的な定義や人々の持っている感覚とかなり離れた(それが原理的ということなのかもしれない)ところで本書の授業が進むせいか、内容的にはかなり難解。本書のキーワードを一つ挙げるとすれば「占有(原理)」なのだろうが、これもまた通常の「占有」に対する感覚とはずれがあるように感じられ、私は混乱した。
また、全体に、ギリシャ・ローマ時代の政治・経済・社会の状況を知らなければ理解が難しいのではないか(というか、私にとって本書が難しかったのは、それらの知識が欠けているからか)と思った。
映画、演劇(戯曲)を扱った回では、これらの古典作品への著者の愛は伝わってくるが、それと法・政治にかかわる議論とはちょっと距離がある印象。ただ、芸術作品を題材にして社会科学を学ぶというスタイルは興味深い。
著者は、同業の他者には辛辣で、
「……法律家も、大学の先生も、そもそも法が何を解体するつもりなのかということをわかっていないんだから。忘れているんだから。問題は何ですかということを理解しないまま、どういう場合にどういうふうにどっちを勝たせるか、みたいなことばっかり勉強させられる。(pp.63-64)」
「……『占有』という概念です。……これは君たちは知らないと思う。私がガーガー言っているんだけれど、日本の大多数の法律家も本当の意味を知らない。(p.121)」
「大体一六〇〇年前後に国際法が出来上がるのだけれど、ジェンティーリとかグローティウスとかが、占有を含むローマ法の概念から国際法を組み立てた。……とはいえ、彼らの占有理解は不十分だったのです。(p.371)」
等々と語る。うーん、他の法律家や大学の先生(やグロティーウス)に反論を聞きたいところである。
「アンティゴネー」と自衛隊合祀拒否訴訟とが、「死者(とその人をかけがえのないものとする)生者に関わる問題」という点で共通することにハッとさせられた。
2023年11月21日に日本でレビュー済み
面白いです。
期待していたものとは多少違っていましたが、これはこれで良いと思います。
本書を簡単に紹介しますと、著者がとある学校を訪れて、30人ばかりの中高生たちと一緒に映画を観たり戯曲を読んだりした後、著者が中高生たちと問答をするんですが、その様子を本当にそのまま本にしたような感じですね。日常の会話をそのまま載せたような文章スタイルになっているので非常に読みやすいかと思います。どちらかというと講義・授業調なので議論や激しい討論を期待している人にはやや物足りないかもしれません。
一冊通して集団・徒党VS個人をテーマとしているように感じました。理不尽ともいえる集団の力に対して無力な個人はそのまま泣き寝入りすべきなのか。それに対し著者は否と答えます。裁判なんてする必要はなく、ましてやいちいち原告になって訴える必要もないレベルで、個人には守られなければならないものがある。著者はそのことを『占有』という言葉を使ってわかりやすく説明します。
個人には守られなければならないものがある。それは俗にいう『人権』にも等しいものなんですが、いわゆる権利とは全然違っている。なぜなら権利とはあくまでも今持っていないものを獲得しにいくことだから。『占有』とは権利とは違ってわざわざ攻撃的になって獲得しにいくものではなく、目には見えないがすでに個人の中にあるもの、決して攻撃には使えないが、反面決して破られることのない究極の盾そのもの。『占有』は公共の福祉にも勝るほどのものなのであり、これがある限り集団や徒党による不条理な力を前にしても個人は決して無力ではないのだと。
そのうえで、著者は日本の裁判事情に異を唱えます。『占有』の原理はおよそギリシアに端を発し、ローマを経て現代にまでいたるが、日本ではその『占有』の理解が及んでいないため、徒党を組んだ者たちのせいで本来守られるはずの者が日本では守られていないという現状を、日本の判例をいくつかあげながら批判しています。
約400ページのボリュームがあり、自衛隊や憲法9条、ホッブズについても少し触れられていて、とにかく何度でも読めるなという内容でした。ただ少し気になった点がいくつかあったので、最後にあげておこうかなと思います。
まず著者の『政治』というものの認識が一般的に想像されるような政治とは異なり、『仕組』というふうに捉えられていることでしょうか。たしかに政治が法のように仕組みとして機能することもありますが、現実的に必ずしもそうであるとは限りません。著者はこういう考え方が本家だと言っておられますが、そもそも政治(人間)は法を超越していますから、政治を仕組みとすることができる反面、政治(人間)によってそうしないこともできると考えるのがスタンダードな気がします。
もうひとつは占有原理そのものについてです。法学素人なので恐縮なんですが、本書に載せられている日本の判例のように、その真偽が明らかで客観的な事実としておおやけにも示されている場合、占有を適用するのは正しいことだと思います。しかし両者の主張の真偽がはっきりせず、また客観的にもそのことを判断しかねる場合だと、結局どちらが正しいのかなんてわからないと思うんですよね。その場合どちらを占有で守るのかという厄介な問題が出てくるんじゃないかと。著者はお怒りになるかもしれませんが、そういう意味では日本の物証主義にもまあ一理あるのかなと。
期待していたものとは多少違っていましたが、これはこれで良いと思います。
本書を簡単に紹介しますと、著者がとある学校を訪れて、30人ばかりの中高生たちと一緒に映画を観たり戯曲を読んだりした後、著者が中高生たちと問答をするんですが、その様子を本当にそのまま本にしたような感じですね。日常の会話をそのまま載せたような文章スタイルになっているので非常に読みやすいかと思います。どちらかというと講義・授業調なので議論や激しい討論を期待している人にはやや物足りないかもしれません。
一冊通して集団・徒党VS個人をテーマとしているように感じました。理不尽ともいえる集団の力に対して無力な個人はそのまま泣き寝入りすべきなのか。それに対し著者は否と答えます。裁判なんてする必要はなく、ましてやいちいち原告になって訴える必要もないレベルで、個人には守られなければならないものがある。著者はそのことを『占有』という言葉を使ってわかりやすく説明します。
個人には守られなければならないものがある。それは俗にいう『人権』にも等しいものなんですが、いわゆる権利とは全然違っている。なぜなら権利とはあくまでも今持っていないものを獲得しにいくことだから。『占有』とは権利とは違ってわざわざ攻撃的になって獲得しにいくものではなく、目には見えないがすでに個人の中にあるもの、決して攻撃には使えないが、反面決して破られることのない究極の盾そのもの。『占有』は公共の福祉にも勝るほどのものなのであり、これがある限り集団や徒党による不条理な力を前にしても個人は決して無力ではないのだと。
そのうえで、著者は日本の裁判事情に異を唱えます。『占有』の原理はおよそギリシアに端を発し、ローマを経て現代にまでいたるが、日本ではその『占有』の理解が及んでいないため、徒党を組んだ者たちのせいで本来守られるはずの者が日本では守られていないという現状を、日本の判例をいくつかあげながら批判しています。
約400ページのボリュームがあり、自衛隊や憲法9条、ホッブズについても少し触れられていて、とにかく何度でも読めるなという内容でした。ただ少し気になった点がいくつかあったので、最後にあげておこうかなと思います。
まず著者の『政治』というものの認識が一般的に想像されるような政治とは異なり、『仕組』というふうに捉えられていることでしょうか。たしかに政治が法のように仕組みとして機能することもありますが、現実的に必ずしもそうであるとは限りません。著者はこういう考え方が本家だと言っておられますが、そもそも政治(人間)は法を超越していますから、政治を仕組みとすることができる反面、政治(人間)によってそうしないこともできると考えるのがスタンダードな気がします。
もうひとつは占有原理そのものについてです。法学素人なので恐縮なんですが、本書に載せられている日本の判例のように、その真偽が明らかで客観的な事実としておおやけにも示されている場合、占有を適用するのは正しいことだと思います。しかし両者の主張の真偽がはっきりせず、また客観的にもそのことを判断しかねる場合だと、結局どちらが正しいのかなんてわからないと思うんですよね。その場合どちらを占有で守るのかという厄介な問題が出てくるんじゃないかと。著者はお怒りになるかもしれませんが、そういう意味では日本の物証主義にもまあ一理あるのかなと。
2020年6月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者のことは知らず、タイトルに惹かれ購入した。内容は、著者と学生による問答の形式をとっており、非常に読みやすい。それも、『自転車泥棒』や『近松物語』など映画や戯曲の古典作品を生徒に事前に見てもらい、そこで感じ取ったことや考えられることなどを著者が生徒から引き出し、最終的には、法とは誰のために、何のためにあるのかということに結びつける。この著作を読んでいるときに並行して、クリントイーストウッド監督の最新作『リチャードジュエル』を見ていた。するとまさに、リチャードジュエルも、個人と法の問題を扱う作品であった。
法とは何のためにあるのか、誰のためにあるのか?ネタバレになってしまうので、ここでは詳細は述べないが、少なくとも法は、国民を統制するための懲罰やルールのようなものではない。
最後に、私が最も感銘を受けたのが、この著者が、法と国家、そして宗教と自由という問題を扱ううえで参照になる最上のテクストとして、福岡安都子氏の『国家・教会・自由~スピノザとホッブズの旧約テクスト解釈を巡る対抗~』を挙げていたことだ。
<部分的な引用>
「宗教に固有の絶対的最終論拠を政治システムが接収してしまうという構想が一つあります。ホッブズのものです。教養をめぐって人々が争う、その争いから徒党が跋扈して政治システムが成り立たないことをこそ最も警戒するという考え方です。しかしそういうホッブズの構想を批判して、決定的な省察をしたのがスピノザでした。・・徹底的に個人が自らの省察を完遂する、この自由こそが初めて宗教の問題を解決する・・国家ではダメで、政治システムは自由な議論なんだ、しかもひとりひとりを尊重するデモクラシー段階の議論なんだ、というわけです・・・個人の精神的自由と政教分離がどのような理論構造の中に置かれているのか、スピノザに則して初めて解明されたとも言うことができます・・・アメリカ型、いや近代的な政教分離と信教の自由のセット自体、個人を犠牲にする問題に対して弱いですし、理論的に曖昧さを含んでいます。スピノザが如何に偉大かということです」
最新のスピノザ研究においては、スピノザは言論の自由について唱えた初めての哲学者、デモクラシー思想の先駆者という位置付けであり、その評価も定着を見せている。しかしそのことが、著者のような法学界にも及んでいるということは知らなかった。やはりラディカルな思想は、どの業界においても古典としてありうるのだということを知ることができたのであった。
法とは何のためにあるのか、誰のためにあるのか?ネタバレになってしまうので、ここでは詳細は述べないが、少なくとも法は、国民を統制するための懲罰やルールのようなものではない。
最後に、私が最も感銘を受けたのが、この著者が、法と国家、そして宗教と自由という問題を扱ううえで参照になる最上のテクストとして、福岡安都子氏の『国家・教会・自由~スピノザとホッブズの旧約テクスト解釈を巡る対抗~』を挙げていたことだ。
<部分的な引用>
「宗教に固有の絶対的最終論拠を政治システムが接収してしまうという構想が一つあります。ホッブズのものです。教養をめぐって人々が争う、その争いから徒党が跋扈して政治システムが成り立たないことをこそ最も警戒するという考え方です。しかしそういうホッブズの構想を批判して、決定的な省察をしたのがスピノザでした。・・徹底的に個人が自らの省察を完遂する、この自由こそが初めて宗教の問題を解決する・・国家ではダメで、政治システムは自由な議論なんだ、しかもひとりひとりを尊重するデモクラシー段階の議論なんだ、というわけです・・・個人の精神的自由と政教分離がどのような理論構造の中に置かれているのか、スピノザに則して初めて解明されたとも言うことができます・・・アメリカ型、いや近代的な政教分離と信教の自由のセット自体、個人を犠牲にする問題に対して弱いですし、理論的に曖昧さを含んでいます。スピノザが如何に偉大かということです」
最新のスピノザ研究においては、スピノザは言論の自由について唱えた初めての哲学者、デモクラシー思想の先駆者という位置付けであり、その評価も定着を見せている。しかしそのことが、著者のような法学界にも及んでいるということは知らなかった。やはりラディカルな思想は、どの業界においても古典としてありうるのだということを知ることができたのであった。
2019年8月1日に日本でレビュー済み
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著者(木庭氏)の本を読もうとして、かつて挫折したことがあったのですが、
本書は他の著作と比べて専門用語が少なく、平易な語り口で作られており、
法学の専門的な学習をしたことがなくても、何とかついていけると感じました。
(特にギリシア・ローマの)古典の名作には、法学の基礎となるようなイメージが
含まれており、その古典のメッセージを高校生との対話の中で見出していく過程が
この本の見どころだと思います。
また、随所に著者のインテリジェンスの溢れる知見が示されており、非常に知的好奇心を
くすぐる内容です。この本を読んだことをきっかけに映画や文学の鑑賞にも興味が広がり、
大変貴重な読書体験となりました。
本書は他の著作と比べて専門用語が少なく、平易な語り口で作られており、
法学の専門的な学習をしたことがなくても、何とかついていけると感じました。
(特にギリシア・ローマの)古典の名作には、法学の基礎となるようなイメージが
含まれており、その古典のメッセージを高校生との対話の中で見出していく過程が
この本の見どころだと思います。
また、随所に著者のインテリジェンスの溢れる知見が示されており、非常に知的好奇心を
くすぐる内容です。この本を読んだことをきっかけに映画や文学の鑑賞にも興味が広がり、
大変貴重な読書体験となりました。
2019年5月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
利権にまみれた集団を解体し、自由な個人が幸福追求をすることを支えるために法がある。そのような本来の法を理解するために古代ギリシャ、ローマの古典を中学生、高校生に読ませる。それは大きな挑戦だ。
この本が取りあげるのはもっぱら文学作品であり、それを通して法を理解することは、斬新な試みだが、かなり難しい。この本はその点に成功したと言えるのかどうか。
古代ギリシャ、ローマでは紛争が生じると法とは何かが議論されるが、日本では現在でも法が排除される。日本では、法は上からの押し付けであって、庶民は法を「タテマエ」として無視し、法律の抜け道捜しのために弁護士を利用する。学校、会社、地域社会では法律の介入を嫌う。役人や官僚は法を国民を管理するための道具にし、都合が悪ければ法を無視する。税理士が「税とは何か」を考えないように、弁護士も「法とは何か」を考えない。最高裁が述べることが正義だと公言する裁判官がいる。国民は司法を当てにせず、事件や紛争が起きれば、法と無関係に互いに感情的に非難し合い、マスコミがそれに迎合する。日本・韓国と北欧の社会の違いは、法の違いでもある。その国の国民は、国民のレベルに見合った法を持つ。
古代ギリシャ、ローマの古典を読んで現代のあるべき法を考えることは、理念としてはわかるが、現実にはかなり難しい。この本の内容も難しい。それを中学生や高校生に考えさせることは、新鮮な印象や感想は出てくるが、正しく理解できるかは疑問がある。しかし、何となく、何が問題かはわかるのではないか。
判例を通して「本来の法」を学ぶ方法も難しい。これはアメリカのロースクール的な方法だが、法律の基礎知識がなければケースメソッドは難しい。アメリカは判例法の国なのでケースメソッドが用いられるが、日本では制定法の知識がなければケースの分析が難しい。
この本がわかりにくいのは、内容が難しいからだ。ものごとを深く考えることの大切さが伝われば、社会勉強になるが・・・・・
この本が取りあげるのはもっぱら文学作品であり、それを通して法を理解することは、斬新な試みだが、かなり難しい。この本はその点に成功したと言えるのかどうか。
古代ギリシャ、ローマでは紛争が生じると法とは何かが議論されるが、日本では現在でも法が排除される。日本では、法は上からの押し付けであって、庶民は法を「タテマエ」として無視し、法律の抜け道捜しのために弁護士を利用する。学校、会社、地域社会では法律の介入を嫌う。役人や官僚は法を国民を管理するための道具にし、都合が悪ければ法を無視する。税理士が「税とは何か」を考えないように、弁護士も「法とは何か」を考えない。最高裁が述べることが正義だと公言する裁判官がいる。国民は司法を当てにせず、事件や紛争が起きれば、法と無関係に互いに感情的に非難し合い、マスコミがそれに迎合する。日本・韓国と北欧の社会の違いは、法の違いでもある。その国の国民は、国民のレベルに見合った法を持つ。
古代ギリシャ、ローマの古典を読んで現代のあるべき法を考えることは、理念としてはわかるが、現実にはかなり難しい。この本の内容も難しい。それを中学生や高校生に考えさせることは、新鮮な印象や感想は出てくるが、正しく理解できるかは疑問がある。しかし、何となく、何が問題かはわかるのではないか。
判例を通して「本来の法」を学ぶ方法も難しい。これはアメリカのロースクール的な方法だが、法律の基礎知識がなければケースメソッドは難しい。アメリカは判例法の国なのでケースメソッドが用いられるが、日本では制定法の知識がなければケースの分析が難しい。
この本がわかりにくいのは、内容が難しいからだ。ものごとを深く考えることの大切さが伝われば、社会勉強になるが・・・・・