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田中角栄:同心円でいこう (ミネルヴァ日本評伝選) 単行本 – 2018/9/12
新川敏光
(著)
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田中角栄(1918~1993)政治家。
日中国交正常化や日本列島改造論などの政策への再評価が進む一方、ロッキード事件等で金権政治の権化とも批判される。
昭和という時代を駆け抜けた田中が目指した政治とは何だったのか。
本書は、田中政治の軌跡を辿りながら、戦後民主主義を再考する。
[目次]
序 蘇る田中角栄
第一章 草創の時代
1 生い立ち
2 上 京
第二章 若き血の叫び
1 政治家田中角栄誕生
2 田中王国の形成
第三章 実力者への道
1 初入閣と初の党三役
2 権力中枢へ
3 日本列島改造論への道
第四章 田中政治のアイディアの源泉
1 政策アイディア
2 名望家政治
3 田中政治の確立
第五章 首相時代
1 総裁への道
2 外 交
3 内 政
4 選 挙
第六章 目白の闇将軍
1 失意の時代
2 復権の萌し
3 田中院政の時代
4 落日の太陽
第七章 田中伝説
1 田中伝説の誕生
2 金権政治
3 ロッキード謀略説
第八章 田中政治とは何だったのか
1 様々な田中評価
2 同心円の政治
3 戦後民主主義と田中政治
終 ポスト田中政治の行方
参照文献
あとがき
田中角栄略年譜
人名・事項索引
日中国交正常化や日本列島改造論などの政策への再評価が進む一方、ロッキード事件等で金権政治の権化とも批判される。
昭和という時代を駆け抜けた田中が目指した政治とは何だったのか。
本書は、田中政治の軌跡を辿りながら、戦後民主主義を再考する。
[目次]
序 蘇る田中角栄
第一章 草創の時代
1 生い立ち
2 上 京
第二章 若き血の叫び
1 政治家田中角栄誕生
2 田中王国の形成
第三章 実力者への道
1 初入閣と初の党三役
2 権力中枢へ
3 日本列島改造論への道
第四章 田中政治のアイディアの源泉
1 政策アイディア
2 名望家政治
3 田中政治の確立
第五章 首相時代
1 総裁への道
2 外 交
3 内 政
4 選 挙
第六章 目白の闇将軍
1 失意の時代
2 復権の萌し
3 田中院政の時代
4 落日の太陽
第七章 田中伝説
1 田中伝説の誕生
2 金権政治
3 ロッキード謀略説
第八章 田中政治とは何だったのか
1 様々な田中評価
2 同心円の政治
3 戦後民主主義と田中政治
終 ポスト田中政治の行方
参照文献
あとがき
田中角栄略年譜
人名・事項索引
- 本の長さ304ページ
- 言語日本語
- 出版社ミネルヴァ書房
- 発売日2018/9/12
- ISBN-104623084256
- ISBN-13978-4623084258
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出版社より

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平成の宰相たち: 指導者一六人の肖像 | 戦後日本首相の外交思想:吉田茂から小泉純一郎まで | ハンドブック近代日本政治思想史:幕末から昭和まで (Minerva KEYWORDS 5) | 池田勇人―所得倍増でいくんだ (ミネルヴァ日本評伝選) | 松下幸之助:きみならできる、必ずできる (ミネルヴァ日本評伝選) | |
カスタマーレビュー |
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価格 | ¥3,850¥3,850 | — | ¥4,180¥4,180 | ¥3,300¥3,300 | ¥2,640¥2,640 |
書籍案内 | 20年にわたる平成期において、日本政治は、度重なる政権交代や連立組み替えなど、流動的かつ激しい展開を見せてきた。だが、たんに混迷の時代だったとは言えない。冷戦終結後の世界にあって日本は、新たな目標を探し求めてきた。本書は平成政治の最高指導者である首相16人に着目し、様々な模索と挑戦の軌跡を明らかにする。ここに平成政治史の本格的な見取図を提示し、次の時代を切り開く手がかりも見出す。 | 本書は、戦後日本の首相たちが、どのような外交思想に基づいて外交を進めていったかについて検討する研究書である。吉田茂から小泉純一郎まで、主要な首相17名を取り上げ、時代に応じて変わる外交課題と思想の関係を描き出す。戦後首相の列伝で、第一線で活躍する政治学者が研究書として刊行するものは皆無であり、戦後政治史・外交史研究の古典となる一冊である。 | 西洋の脅威に直面した日本人は、いかなる政治思想を生み出してきたのか。そしてその思想はどのような人々が担ってきたのか。本書では、幕末から昭和にかけての約150年間における思想と思想家について、それぞれの背景、思想、研究動向を詳述し、近代日本政治思想史の全貌を明らかにする。いわゆる「左」だけでなく「右」の政治思想も網羅した有用な一冊。 | 広島県に生まれ、大蔵官僚になるも、病を得て退職を余儀なくされる。その後奇跡の復職を果たし、戦後は政界へ転身。「貧乏人は麦飯を食え」「5人や10人自殺しても……」などの失言で非難されるが、その職人的経済感覚により、内閣総理大臣となる。高度経済成長への道を敷いた政治家の情熱の生涯を、時代背景とともに活写する。 | 松下幸之助(1894~1989)経営者。 日本を代表する企業・松下電器産業(現パナソニック)を一代で築き、「経営の神様」と称される松下幸之助。本書では、その足跡を丹念にたどり、感情豊かで、強さと弱さの矛盾を抱えた人間像、そして壮大なる成功を導いたイノベーターとしての姿を描く。 |
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西田天香:この心この身このくらし (ミネルヴァ日本評伝選) | 力道山:人生は体当たり、ぶつかるだけだ (ミネルヴァ日本評伝選) | 正宗白鳥―何云つてやがるんだ ミネルヴァ日本評伝選 | 大佛次郎:一代初心 (ミネルヴァ日本評伝選) | 李方子:一韓国人として悔いなく (ミネルヴァ日本評伝選) | 佐治敬三―夢、大きく膨らませてみなはれ(ミネルヴァ日本評伝選) | |
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価格 | ¥3,300¥3,300 | ¥2,750¥2,750 | ¥2,750¥2,750 | ¥3,520¥3,520 | ¥3,080¥3,080 | ¥3,080¥3,080 |
書籍紹介 | 感謝と奉仕そして無償の労働。誠実で敬虔な「無」の思想。 自らを捨て、神仏への感謝と奉仕の精神に基づく無償の労働。京都・四宮の一燈園で自ら「無」の思想を実践した思想家・天香。その行動の生涯、九十六年を追う。 | 空手チョップが時代を切り裂く、昭和の英雄、プロレス一代記。 空手チョップで一躍戦後日本のヒーローとなり、プロレス界の礎を築いた力道山は、いかなる人物だったのか。本書では、あまりに自明ながらも語られてこなかった「プロレス」という視点から、知られざる素顔を描き出す。 | 明治・大正・昭和と文学の第一線で活躍した正宗白鳥。近代日本文学をつくった一人であるとともに、救済願望と表裏一体の希なる批判精神の持ち主であった。近代日本には珍しいこの特異な精神の軌跡、社会不信・人間不信におびえる現代人にとって一服の清涼剤ともなろうか。 | 大佛次郎(1897〜1973)小説家 明治維新、進取の気風の中で生まれ育った大佛次郎。一中、一高、東大法学部卒のエリート街道から本格的大衆文学作家となり、「鞍馬天狗」から近代日本人の精神の原点を求めた「天皇の世紀」までを生み出した。その作家の人間像とはいかなるものなのか。本書は一次史料を渉猟し、その生涯と作品が織りなす実像に迫る試みである。 | 李王家最後の皇太子妃、日韓の狭間に揺れた流転の生涯。 梨本宮家に生まれた方子は、李王家最後の皇太子李垠(りぎん/イウン)に嫁いだものの、日本の敗戦により王族身分を失い、戦後は社会福祉事業に身を捧げた。 日本と韓国の狭間に生きた女性は何を思い、自らの人生をどのように位置づけたのか。 | 鳥井信治郎が設立した寿屋を継承。洋酒の普及に努めた。また、社是「やってみなはれ」を掲げサントリー文化を花開かせた姿に迫る。 やってみなはれ、みとくんなはれ 創業者的二代目として、開高健、山口瞳、柳原良平などの才能を発掘し、「粋(すい)」を感じさせる表現者であり、人間通。サントリー文化を作り上げた経営者の実像とは? |
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本田宗一郎―やってみもせんで、何がわかる (ミネルヴァ日本評伝選) | 石橋湛山:思想は人間活動の根本・動力なり (ミネルヴァ日本評伝選) | 出光佐三―黄金の奴隷たるなかれ (ミネルヴァ日本評伝選) | 松永安左エ門:生きているうち鬼といわれても (ミネルヴァ日本評伝選) | 池田勇人―所得倍増でいくんだ (ミネルヴァ日本評伝選) | |
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価格 | ¥2,420¥2,420 | ¥3,850¥3,850 | ¥2,640¥2,640 | ¥2,750¥2,750 | ¥3,300¥3,300 |
書籍紹介 | 夢への挑戦 ホンダDNAのバイブル 夢へ向かうエネルギーと人間的魅力に溢れ、周囲の人々を奮い立たせそして、一つにまとめあげた。徒手空拳からスタートし、ホンダという世界屈指の組織を作り上げた宗一郎は、今もなお求められる経営者像を体現している。大きな夢を天衣無縫に追い続けた男の人生を描き出す。 | ジャーナリズムから政界へ。 稀代の論客、その思想の全容。 戦前は東洋経済新報社でリベラル派の論客として活躍し、戦後は政界に転身、吉田内閣蔵相などを経て自民党総裁、首相となる。日中米ソの平和同盟を構想するも、病により退陣を余儀なくされる。本書では、湛山の思想・言論・政策を丁寧に辿り、今日に改めて問いかける。 | 出光佐三(一八八五~一九八一) 実業家。 門司で石油販売業を始め、持前の才覚で営業を拡大、敗戦で海外資産を失うも、原油輸入から精製、販売まで携わる石油会社を築いた出光佐三。メジャーズや政府規制に対抗し続け、民族系石油会社の雄となりえた背景を探る。 | 経済合理性を尊重する経営理念を実践し、戦後の民営九電力体制を生み出して「電力の鬼」と呼ばれた松永は、政府規制に対抗した自由主義者としても有名であった。電力自由化が進む今日、その足跡を振り返る意義は大きい。第1回企業家研究フォーラム賞 受賞作。 | 日本が最も元気だった時代… 宰相・池田勇人の経世済民。 広島県に生まれ、大蔵官僚になるも、病を得て退職を余儀なくされる。その後奇跡の復職を果たし、戦後は政界へ転身。「貧乏人は麦飯を食え」「5人や10人自殺しても……」などの失言で非難されるが、その職人的経済感覚により、内閣総理大臣となる。高度経済成長への道を敷いた政治家の情熱の生涯を、時代背景とともに活写する。 |
商品の説明
著者について
[著者紹介]※本情報は刊行時のものです
新川敏光(しんかわ・としみつ)
1956年 生まれ。
1990年 トロント大学大学院政治学研究科博士課程修了(Ph. D. in Political Science)。
現 在 法政大学法学部教授・京都大学名誉教授。
新川敏光(しんかわ・としみつ)
1956年 生まれ。
1990年 トロント大学大学院政治学研究科博士課程修了(Ph. D. in Political Science)。
現 在 法政大学法学部教授・京都大学名誉教授。
登録情報
- 出版社 : ミネルヴァ書房 (2018/9/12)
- 発売日 : 2018/9/12
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 304ページ
- ISBN-10 : 4623084256
- ISBN-13 : 978-4623084258
- Amazon 売れ筋ランキング: - 209,204位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 718位日本の政治
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
人となりを再確認しました。
2019年3月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
政治学者らしい史実に忠実かつ客観的な評伝である。「同心円でいこう」は田中角栄自身の言葉として引用されているが、「同心円の政治を発展させる」ことが今後の日本の将来に繋がるキーワードであることが、示唆に富んだ筆者のメッセージとしてじわりと伝わる秀逸な内容である。
2018年10月4日に日本でレビュー済み
彼の全盛時、訳あって私は政治アパシーに陥っていて、大きな政治状況についても、ましてや利益配分のチマチマとした政治事情など知る由もなかった。
しかし、そんな私でも、今太閤のような田中角栄が総理大臣にまで登りつめたこと、日中国交回復を実現したこと、ロッキード事件でパクられたことぐらいは知っていた。
ことほどさように田中のインパクトは強烈で、少なくとも戦後の歴代総理の中ではその印象は突出していたと思う。しかし、依然として田中という男の実像はわからないままであった。
そうした私の欠落を埋めてくれるのが本書だ。この著者、もともと一般受けするものを書くような人ではないが、この評伝に関しては、こうしたシリーズの特色からして、また対象が対象だけに、とても面白く読むことができた。
結論をいうなら、私が漠然と知っていた角栄像の確認が半分であるが、それらが意味するもの、なぜそうあったかなどの点は流石にちゃんと提示されている。
あとの半分は、まったく知らなかった事実や、え、そこまでやってたのといったことどもが多く、それらの記録と同時に、その背景やそれらの解釈が提示されている。
さまざまな情報やそれを巡る諸問題が示されているが、私のアンテナに引っかかったものについていえば、彼が間違いなく戦後民主主義の申し子であるという事実である。
小学校卒の学歴しかなく、学閥はもちろん、閨閥や門閥とも一切無縁な彼が総理まで登り詰めることは戦前ではまったく考えられなかったことであり、そしてまた、これは私見であるが、戦後民主主義が完全に形骸化されている今日においても考えがたいことである。
その事実は、今日の国会議員の多数が2世、3世などの世襲であるを考えてもよく分かる。現政権の安倍、麻生にしても、形式的には選挙の洗礼は受けているものの、その出自からして決して彼ら自身の能力が選ばれたわけではない。
ついでにいうならば、ロッキード事件での彼の収賄も、回り回って金が入る仕組みになっているエリートたちと、自ら手を汚しても金を稼がねばならない成り上がり者ゆえの限界であったともいえる。
もう一つの角栄像は、アイディアマンとしてのそれで、1946年に落選した衆議院選挙の折にすでにして「三国峠を崩せば新潟に雪は降らなくなり、崩した土砂で日本海を埋めて佐渡まで陸続きにすればよい」と大言壮語していたという。
これが後の「日本列島改造論」の系譜につながることは見やすいであろう。もともと土建屋であったせいもあり、土建屋政治の元祖でもあるが、かつて「裏日本」といわれ、太平洋側との格差が深刻であった地方の住民、そして、都市部との格差に悩む地方の活性化という点で大いに期待を集めた政治家であった。
事実、この大風呂敷に基づく各種政策の実現は、日本列島のインフラ整備に寄与したことは間違いない。もちろん、大型公共事業の実施とその請負者からの幾ばくかの政治資金の還流というこの種政策の暗部もフルに機能し、角栄流錬金術を担ったことも事実である。
さらにいえば、浪花節的人情の人という側面である。ようするに情で動くということであるが、いってみれば理詰めで、イデイロギーなどによる行為の選択をあまりしなかったということにも通じる。しかし、彼の場合、自らが情で動くという側面よりも、情で人を動かすという側面こそ強調すべきであろう。
こういっては身も蓋もないが、彼の情にはほとんど金が関わっていた。早い話が、金を渡して恩を売るのである。ただし、その渡し方がうまかった。くれてやるではなく、どうか受け取って下さい、私に対しての指導料です、あなたは将来ある人ですなどなど、受け取る側の気持ちをくすぐり、決してそのプライドを傷つけたりはしなかった。
これらは、返さなくともいい金、一方的な贈与であり、受け取った側に恩義というより負い目が残ることとなる。その非対称な関係が目に見えぬ支配関係を生み、田中の主導権を築き上げてゆく。
こうして彼はその権力を拡大していったのだが、それは排除というより包摂の力学に基づく。それを著者は田中自身が語ったという言葉を借りて「同心円の政治」とし、この書のサブタイトル「同心円でいこう」ともなっている。
著者によるそのイメージは以下のようである。「境界線を設ける政治ではなく円内に包み込む政治」、「ピラミッド型の上意下達ではなく水平な円の広がり」なのであるが、その円の中心にはもちろん角栄自身が鎮座し、その同心円に包摂された者たちを家父長的に庇護する、それが角栄政治のイメージだというのだ。
田中の思い描く選挙民たちは、自分たちの生活向上を求めて政治を利用しようとする存在であり、田中はそうした「庶民」の私的欲望を最もうまく動員した政治的事業家だったという。
その意味では、これら庶民は、近代政治が暗黙のうちに前提としている「市民」や「公民」=自らを政治主体として行動する主体ではない。
そうした田中政治もやがて瓦解する。それはどのように進んだのかを著者は概括し、それを進めた理論的代表は小沢一郎であったという。
それによれば、田中型家父長制ではなく、政治課題を掲げた強力な民主集中制が必要であり、そのためには自民党内の派閥を解消し、それとの絡みもあって小選挙区制を導入する、そしてその結果選ばれた政府による官邸主導型の政治を実現するというものであった。
この展望はその良否はともかく、小泉政権を経由して今日ほぼそのとおりに実現していて、安倍政権の図式がそれといってよかろう。こうして実現したその中心に、立案者の小沢一郎がいないというのが政治的力学のアイロニーであろう。
最後にひとつ。田中はもちろん清廉潔白ではなくむしろ「悪党」に属したといえる。それについて、田中の秘書であった早坂茂三がこんなことをいっている。
「何もできないお人よしの政治家と悪党ではあっても庶民の要求に応える政治家とどちらが好ましいか」、もちろん「政治家は、悪党に限る」と。
ところでいま私たちは、「悪党であってしかも庶民の要求には応えない」為政者のもとにあるのではなかろうか。
ここはじっくり考えるところだろう。
田中角栄という誰でも知っているような事象は、実は戦後日本政治の突出した出来事であり、その現象をつぶさに眺めることにより、戦後日本政治の構造とその推移が見えてくる特異なサンプルであることをこの書は教えてくれる。
しかし、そんな私でも、今太閤のような田中角栄が総理大臣にまで登りつめたこと、日中国交回復を実現したこと、ロッキード事件でパクられたことぐらいは知っていた。
ことほどさように田中のインパクトは強烈で、少なくとも戦後の歴代総理の中ではその印象は突出していたと思う。しかし、依然として田中という男の実像はわからないままであった。
そうした私の欠落を埋めてくれるのが本書だ。この著者、もともと一般受けするものを書くような人ではないが、この評伝に関しては、こうしたシリーズの特色からして、また対象が対象だけに、とても面白く読むことができた。
結論をいうなら、私が漠然と知っていた角栄像の確認が半分であるが、それらが意味するもの、なぜそうあったかなどの点は流石にちゃんと提示されている。
あとの半分は、まったく知らなかった事実や、え、そこまでやってたのといったことどもが多く、それらの記録と同時に、その背景やそれらの解釈が提示されている。
さまざまな情報やそれを巡る諸問題が示されているが、私のアンテナに引っかかったものについていえば、彼が間違いなく戦後民主主義の申し子であるという事実である。
小学校卒の学歴しかなく、学閥はもちろん、閨閥や門閥とも一切無縁な彼が総理まで登り詰めることは戦前ではまったく考えられなかったことであり、そしてまた、これは私見であるが、戦後民主主義が完全に形骸化されている今日においても考えがたいことである。
その事実は、今日の国会議員の多数が2世、3世などの世襲であるを考えてもよく分かる。現政権の安倍、麻生にしても、形式的には選挙の洗礼は受けているものの、その出自からして決して彼ら自身の能力が選ばれたわけではない。
ついでにいうならば、ロッキード事件での彼の収賄も、回り回って金が入る仕組みになっているエリートたちと、自ら手を汚しても金を稼がねばならない成り上がり者ゆえの限界であったともいえる。
もう一つの角栄像は、アイディアマンとしてのそれで、1946年に落選した衆議院選挙の折にすでにして「三国峠を崩せば新潟に雪は降らなくなり、崩した土砂で日本海を埋めて佐渡まで陸続きにすればよい」と大言壮語していたという。
これが後の「日本列島改造論」の系譜につながることは見やすいであろう。もともと土建屋であったせいもあり、土建屋政治の元祖でもあるが、かつて「裏日本」といわれ、太平洋側との格差が深刻であった地方の住民、そして、都市部との格差に悩む地方の活性化という点で大いに期待を集めた政治家であった。
事実、この大風呂敷に基づく各種政策の実現は、日本列島のインフラ整備に寄与したことは間違いない。もちろん、大型公共事業の実施とその請負者からの幾ばくかの政治資金の還流というこの種政策の暗部もフルに機能し、角栄流錬金術を担ったことも事実である。
さらにいえば、浪花節的人情の人という側面である。ようするに情で動くということであるが、いってみれば理詰めで、イデイロギーなどによる行為の選択をあまりしなかったということにも通じる。しかし、彼の場合、自らが情で動くという側面よりも、情で人を動かすという側面こそ強調すべきであろう。
こういっては身も蓋もないが、彼の情にはほとんど金が関わっていた。早い話が、金を渡して恩を売るのである。ただし、その渡し方がうまかった。くれてやるではなく、どうか受け取って下さい、私に対しての指導料です、あなたは将来ある人ですなどなど、受け取る側の気持ちをくすぐり、決してそのプライドを傷つけたりはしなかった。
これらは、返さなくともいい金、一方的な贈与であり、受け取った側に恩義というより負い目が残ることとなる。その非対称な関係が目に見えぬ支配関係を生み、田中の主導権を築き上げてゆく。
こうして彼はその権力を拡大していったのだが、それは排除というより包摂の力学に基づく。それを著者は田中自身が語ったという言葉を借りて「同心円の政治」とし、この書のサブタイトル「同心円でいこう」ともなっている。
著者によるそのイメージは以下のようである。「境界線を設ける政治ではなく円内に包み込む政治」、「ピラミッド型の上意下達ではなく水平な円の広がり」なのであるが、その円の中心にはもちろん角栄自身が鎮座し、その同心円に包摂された者たちを家父長的に庇護する、それが角栄政治のイメージだというのだ。
田中の思い描く選挙民たちは、自分たちの生活向上を求めて政治を利用しようとする存在であり、田中はそうした「庶民」の私的欲望を最もうまく動員した政治的事業家だったという。
その意味では、これら庶民は、近代政治が暗黙のうちに前提としている「市民」や「公民」=自らを政治主体として行動する主体ではない。
そうした田中政治もやがて瓦解する。それはどのように進んだのかを著者は概括し、それを進めた理論的代表は小沢一郎であったという。
それによれば、田中型家父長制ではなく、政治課題を掲げた強力な民主集中制が必要であり、そのためには自民党内の派閥を解消し、それとの絡みもあって小選挙区制を導入する、そしてその結果選ばれた政府による官邸主導型の政治を実現するというものであった。
この展望はその良否はともかく、小泉政権を経由して今日ほぼそのとおりに実現していて、安倍政権の図式がそれといってよかろう。こうして実現したその中心に、立案者の小沢一郎がいないというのが政治的力学のアイロニーであろう。
最後にひとつ。田中はもちろん清廉潔白ではなくむしろ「悪党」に属したといえる。それについて、田中の秘書であった早坂茂三がこんなことをいっている。
「何もできないお人よしの政治家と悪党ではあっても庶民の要求に応える政治家とどちらが好ましいか」、もちろん「政治家は、悪党に限る」と。
ところでいま私たちは、「悪党であってしかも庶民の要求には応えない」為政者のもとにあるのではなかろうか。
ここはじっくり考えるところだろう。
田中角栄という誰でも知っているような事象は、実は戦後日本政治の突出した出来事であり、その現象をつぶさに眺めることにより、戦後日本政治の構造とその推移が見えてくる特異なサンプルであることをこの書は教えてくれる。
2018年10月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
偏った形でなく、著者の視点で田中政治をたどりながら戦後の民主主義における田中角栄の影響を解りやすくまとめてくださっています。とても読みやすい本でした。
2019年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読み易いと思いましたが、他の方の抜粋の感は否めませんでした。もう少し突っ込んだ視点もほしかった。
2018年9月28日に日本でレビュー済み
本書は、田中角栄の評伝である。
しかし、これは昨今、流行になっているいわゆる「角栄本」の中の一冊ではない。伝統あるミネルヴァ書房の日本評伝選の中の一冊であり、結構読み応えがあった。
ただ、内容的には角栄の生涯を振り返る記述であり、この種の本は多数出版されているし、内容的にも濃いものではない。また、結論として「「角栄政治」とは何だったのか」と分析・総括しているが、こちらも特段目新しい視点はかかれていない。
しかしながら、読破した後の感想としては、押さえるべきところは押さえており、それなりに田中角栄という稀代の政治家を回顧する上では決して退屈な内容ではないので、まずまず合格点を与えてもいいと言ったところであろうか。
流行に乗った他の角栄本よりはましな、しっかりとした本である。
しかし、これは昨今、流行になっているいわゆる「角栄本」の中の一冊ではない。伝統あるミネルヴァ書房の日本評伝選の中の一冊であり、結構読み応えがあった。
ただ、内容的には角栄の生涯を振り返る記述であり、この種の本は多数出版されているし、内容的にも濃いものではない。また、結論として「「角栄政治」とは何だったのか」と分析・総括しているが、こちらも特段目新しい視点はかかれていない。
しかしながら、読破した後の感想としては、押さえるべきところは押さえており、それなりに田中角栄という稀代の政治家を回顧する上では決して退屈な内容ではないので、まずまず合格点を与えてもいいと言ったところであろうか。
流行に乗った他の角栄本よりはましな、しっかりとした本である。
2018年11月2日に日本でレビュー済み
田中角栄が好きなので、これまで角栄本はいろいろ読んできたが、『田中角栄――同心円でいこう』(新川敏光著、ミネルヴァ日本評伝選)は、ロッキード事件を巡る記述が充実しています。
角栄自身がロッキード事件をどう考えていたのか、三木武夫がどういう動きをしたのか、ロッキード謀略説は成立するのか――が、私の好奇心を刺激しました。
「ロッキード事件でアメリカに嵌められたと思い込んでいた田中・・・」。
「田中は、そもそもロッキード事件に関する(三木)首相官邸や検察の動きについて十分な情報収集・分析を行い、逮捕に対する対応策を練っていなかったようだ」。角栄には珍しいことだが、油断したのでしょう。
「第一審のロッキード判決後、目白で激高する角栄・・・」。
「病に倒れて以降の田中角栄の心中を察するに余りある。長年にわたって築き上げた城が崩れ去るのを、ただ黙って見ているしかなかった。人一倍、いや十倍、百倍も活力のあった角栄が、体だけでなく言葉の自由も奪われ、なすすべもなく、死の闇に呑み込まれていった。田中角栄逝去の報に、人々は過ぎ去った昭和に思いを馳せ、しばし感慨にふけった」。
「三木(首相)は、アメリカ側に資料提供を求める親書を送り、さらに検察にコーチャンへの嘱託尋問を行わせるなどして、『徹底究明』の姿勢を打ち出す。田中からたびたび煮え湯を飲まされてきた三木は、首相権限をフルに活用して、一気に田中の息の根を止めようとした。小沢一郎は、田中角栄も、金丸信も、竹下登も、権力のなんたるかを知らず、それをマキアヴェリ的なイメージで知っていたのは三木武夫だけだと指摘している」。
「マキアヴェリストといわれた三木であったが、その根底には、穏健かつリベラルな政治観があった」。私は三木武夫も好きです。
「田中逮捕に湧くマスコミとは対照的に、永田町界隈では『三木首相は、冷厳なものだ。検察を完全に握っている。今度の逮捕で、権力闘争の相手を射殺したのだ』という冷めた見方が広まる」。
「5億円授受そのものには触れず、田中を擁護する議論がある。謀略論である。すなわちロッキード事件は、アメリカの仕掛けた罠であり、田中は嵌められたというのである」。
中曽根康弘が、「のちに(ヘンリー・)キッシンジャーは『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私にいいました」と語った件について、著者はこう考察しています。「それが何を意味しているのかはあいまいである。少なくとも、その発言だけから『田中をロッキード事件で罠にかけたのは間違いだった』と解釈するのは強引すぎるだろう。むしろ三木親書に応えて調書を日本側に渡したのは間違いだったと理解するのが自然ではないだろうか。もしそうであれば、キッシンジャーの発言は5億円の授受を否定するものではないし、いわんやアメリカ政府が田中を罠に陥れたことを認めたものでもない」。
「徳本栄一郎は、アメリカ側の資料を調べ、アメリカ側の関係者へのインタヴューを行って、謀略論の裏付けが全く取れなかったと報告している。またアメリカ国務省の秘密解除文書やアメリカでの裁判記録等に丹念に目を通した奥山俊宏も、やはり謀略を示唆する証拠を発見できなかった。アメリカが田中の資源外交に警戒心を抱いていたことすら、確証を得ることができなかった、キッシンジャーが田中を嫌っていたことは事実でも、CIA、議会、ロッキード社等と共謀して田中を陥れたという形跡はない。むしろキッシンジャー国務長官は、政府高官の名前を含む資料の公開についてエドワード・レビ司法長官に慎重な対応を要請していた。だとすれば、キッシンジャーの『ロッキード事件は間違いだった』という言葉は、やはり日本政府に資料を渡したのが間違いだったという意味ではないかと思われる。そもそもチャーチ委員会にとってロッキード事件は、多国籍企業の活動調査のなかから副産物として発見されたものであって、田中をピンポイントに狙ったわけではない」。この指摘は説得力があります。
「元民社党委員長の塚本三郎は、謀略論をとった場合に生じる様々な疑問を指摘している。謀略で田中を追い落としたとすれば、アメリカはなぜ田中が闇将軍として君臨することを許したのか。田中はスキャンダルの多い男であり、ピンポイントで狙うこともできたのに、なぜあちこちに累が及ぶような事件を仕立てたのか。アメリカにとって、当時自民党以上に都合の良い政権はなかったはずである。またCIAのエージェントである児玉誉士夫を巻き込んだのはなぜか。下手をすれば、アメリカにとっても都合の悪い結果を招いたはずである」。この主張は理路整然としています。
謀略論もあり得るかなと考えていたが、本書を読み終わって、私の中では、ロッキード謀略論を卒業することができました。
角栄自身がロッキード事件をどう考えていたのか、三木武夫がどういう動きをしたのか、ロッキード謀略説は成立するのか――が、私の好奇心を刺激しました。
「ロッキード事件でアメリカに嵌められたと思い込んでいた田中・・・」。
「田中は、そもそもロッキード事件に関する(三木)首相官邸や検察の動きについて十分な情報収集・分析を行い、逮捕に対する対応策を練っていなかったようだ」。角栄には珍しいことだが、油断したのでしょう。
「第一審のロッキード判決後、目白で激高する角栄・・・」。
「病に倒れて以降の田中角栄の心中を察するに余りある。長年にわたって築き上げた城が崩れ去るのを、ただ黙って見ているしかなかった。人一倍、いや十倍、百倍も活力のあった角栄が、体だけでなく言葉の自由も奪われ、なすすべもなく、死の闇に呑み込まれていった。田中角栄逝去の報に、人々は過ぎ去った昭和に思いを馳せ、しばし感慨にふけった」。
「三木(首相)は、アメリカ側に資料提供を求める親書を送り、さらに検察にコーチャンへの嘱託尋問を行わせるなどして、『徹底究明』の姿勢を打ち出す。田中からたびたび煮え湯を飲まされてきた三木は、首相権限をフルに活用して、一気に田中の息の根を止めようとした。小沢一郎は、田中角栄も、金丸信も、竹下登も、権力のなんたるかを知らず、それをマキアヴェリ的なイメージで知っていたのは三木武夫だけだと指摘している」。
「マキアヴェリストといわれた三木であったが、その根底には、穏健かつリベラルな政治観があった」。私は三木武夫も好きです。
「田中逮捕に湧くマスコミとは対照的に、永田町界隈では『三木首相は、冷厳なものだ。検察を完全に握っている。今度の逮捕で、権力闘争の相手を射殺したのだ』という冷めた見方が広まる」。
「5億円授受そのものには触れず、田中を擁護する議論がある。謀略論である。すなわちロッキード事件は、アメリカの仕掛けた罠であり、田中は嵌められたというのである」。
中曽根康弘が、「のちに(ヘンリー・)キッシンジャーは『ロッキード事件は間違いだった』と密かに私にいいました」と語った件について、著者はこう考察しています。「それが何を意味しているのかはあいまいである。少なくとも、その発言だけから『田中をロッキード事件で罠にかけたのは間違いだった』と解釈するのは強引すぎるだろう。むしろ三木親書に応えて調書を日本側に渡したのは間違いだったと理解するのが自然ではないだろうか。もしそうであれば、キッシンジャーの発言は5億円の授受を否定するものではないし、いわんやアメリカ政府が田中を罠に陥れたことを認めたものでもない」。
「徳本栄一郎は、アメリカ側の資料を調べ、アメリカ側の関係者へのインタヴューを行って、謀略論の裏付けが全く取れなかったと報告している。またアメリカ国務省の秘密解除文書やアメリカでの裁判記録等に丹念に目を通した奥山俊宏も、やはり謀略を示唆する証拠を発見できなかった。アメリカが田中の資源外交に警戒心を抱いていたことすら、確証を得ることができなかった、キッシンジャーが田中を嫌っていたことは事実でも、CIA、議会、ロッキード社等と共謀して田中を陥れたという形跡はない。むしろキッシンジャー国務長官は、政府高官の名前を含む資料の公開についてエドワード・レビ司法長官に慎重な対応を要請していた。だとすれば、キッシンジャーの『ロッキード事件は間違いだった』という言葉は、やはり日本政府に資料を渡したのが間違いだったという意味ではないかと思われる。そもそもチャーチ委員会にとってロッキード事件は、多国籍企業の活動調査のなかから副産物として発見されたものであって、田中をピンポイントに狙ったわけではない」。この指摘は説得力があります。
「元民社党委員長の塚本三郎は、謀略論をとった場合に生じる様々な疑問を指摘している。謀略で田中を追い落としたとすれば、アメリカはなぜ田中が闇将軍として君臨することを許したのか。田中はスキャンダルの多い男であり、ピンポイントで狙うこともできたのに、なぜあちこちに累が及ぶような事件を仕立てたのか。アメリカにとって、当時自民党以上に都合の良い政権はなかったはずである。またCIAのエージェントである児玉誉士夫を巻き込んだのはなぜか。下手をすれば、アメリカにとっても都合の悪い結果を招いたはずである」。この主張は理路整然としています。
謀略論もあり得るかなと考えていたが、本書を読み終わって、私の中では、ロッキード謀略論を卒業することができました。