現職の裁判官が裁判官の劣化について述べた類のない書籍。裁判所当局への批判はほぼなく、「絶望の裁判所」とは趣旨が異なる。
大半が裁判官の質、能力の低下に対する言及で占められており、岡口裁判官らしく要件事実の基礎知識も解説されている。飲みニケーションがなくなって智の伝承がされなくなったこと、従来様式の判決にあった当事者の主張欄がなくなったことによる民事訴訟の構造への理解の低下などが原因としている。
個人的には「そうなんだろうな。やっぱりそうだったのか。」といったことが多く、新鮮な驚きまではなかった。裁判所、裁判官は、制度的に限界にきているのでは。検察庁と並んで改革という言葉から最も遠い組織であるように感じる。
ちなみに白ブリーフへの言及は、一箇所のみ。これは意地で入れたのかね。なぜあんな格好をするようになったのかも知りたくはあったが。
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裁判官は劣化しているのか 単行本 – 2019/2/23
岡口基一
(著)
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購入オプションとあわせ買い
裁判所の内部で何が起こっているのか? 現役判事による異色のエッセイ。裁判官の「智」を支えるシステムを、自らの経験をもとに解説。国民が知るべき裁判所・裁判官の世界を分かりやすく紹介する。
- 本の長さ168ページ
- 言語日本語
- 出版社羽鳥書店
- 発売日2019/2/23
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-104904702743
- ISBN-13978-4904702741
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商品の説明
著者について
1966年生まれ。1990年東京大学法学部卒業。東京地方裁判所知的財産権部特例判事補、福岡地方裁判所行橋支部判事を経て、現在、東京高等裁判所判事。 著書に、『要件事実入門』(創耕舎、2014年)、『民事訴訟マニュアル──書式のポイントと実務 第2版(上下)』(ぎょうせい、2015年)、『要件事実問題集[第4版]』(商事法務、2016年)、『要件事実マニュアル 第5版 全5巻』(ぎょうせい、2016-2017年) 、『裁判官! 当職そこが知りたかったのです。──民事訴訟がはかどる本』(中村真との共著、学陽書房、2017年)、『要件事実入門(初級者編) 第2版』(創耕舎、2018年)。
登録情報
- 出版社 : 羽鳥書店 (2019/2/23)
- 発売日 : 2019/2/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 168ページ
- ISBN-10 : 4904702743
- ISBN-13 : 978-4904702741
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 140,104位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,949位社会・政治の法律
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
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2019年2月28日に日本でレビュー済み
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2019年5月8日に日本でレビュー済み
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OK
2019年3月25日に日本でレビュー済み
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飲みニケーションの減少が裁判官の質の低下の原因と述べられているが、そんなんで裁判官の質が低下するとかちょっと組織としての質を疑うレベル。日本の司法がそんなので支えられているのであれば、司法とか利用したくない。
基本的な知識を裁判官が身につけることができていないのは、単に教育側の質が低下しているからではないのか。
岡口裁判官は、常に新しいことを取り入れる裁判所の革命児と思っていたが、裁判所の旧来の方法に固執するただの一裁判官だったようだ。
マニュアル化できるところはマニュアル化して、裁判官が本当にその専門知識を求められている分野にだけ注力させればいいのに。「判決の重み」も求められる場面と別に必要ない場面もあるだろう。
効率化できる事件は効率よく処理し、納得が求められる事件にじっくり時間をかけられる裁判制度にしてもらいたい。
基本的な知識を裁判官が身につけることができていないのは、単に教育側の質が低下しているからではないのか。
岡口裁判官は、常に新しいことを取り入れる裁判所の革命児と思っていたが、裁判所の旧来の方法に固執するただの一裁判官だったようだ。
マニュアル化できるところはマニュアル化して、裁判官が本当にその専門知識を求められている分野にだけ注力させればいいのに。「判決の重み」も求められる場面と別に必要ない場面もあるだろう。
効率化できる事件は効率よく処理し、納得が求められる事件にじっくり時間をかけられる裁判制度にしてもらいたい。
2019年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
判決書のスタイルや司法研修、勤務スタイルが変わって「智」が伝承されにくくなり、裁判官の質が低下している話がメインでした。(これは、これで面白いです。)
分限裁判について述べているのかと思っていたら、至って真面目な題材でした。
分限裁判について述べているのかと思っていたら、至って真面目な題材でした。
2023年8月23日に日本でレビュー済み
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「絶望の裁判所」のような、さしせまった暴露系の批判本ではないです。
裁判所の内部事情に批判的な記述はあるけど、学術的、技術的な伝達ができなくなった事への憂いみたいな感じでしょうか。
裁判所の内部事情に批判的な記述はあるけど、学術的、技術的な伝達ができなくなった事への憂いみたいな感じでしょうか。
2019年3月19日に日本でレビュー済み
1 本書について
1-1 筆者について
筆者は現役裁判官で、『要件事実マニュアル』『要件事実問題集』等の著者として法曹にはかねてから有名だった。評者も、法科大学院在学中に、『要件事実問題集』を友人との勉強会で利用していた。
一般には、ツイッターでの投稿を理由とする分限裁判や弾劾手続の対象となった人物として有名になった(念のため言えば、評者は、当該分限裁判や弾劾手続には批判されるべき点が少なからずあると思っている)。
1-2 本書の内容について
第1章には、著者の半生が記されている。大学生の頃に「寺子屋」で教えていたことや、任官後の経験、『要件事実マニュアル』執筆の経緯等に触れられている。
第2章以下は、裁判官が「劣化」していることや、その原因、「劣化」を避けるための方策について記されている。著者の主張によれば、裁判官は「劣化」しており、ここでいう「劣化」とは、第一に要件事実の知識が不十分な裁判官が増えたこと、第二に司法の本質論・役割論(少数者の権利保護)の理解に欠ける裁判官が増えたことを意味するようである。
「劣化」の理由としては、「飲みニケーション」が減って先輩裁判官から「智」を口頭で伝承される機会がなくなったこと、司法修習での要件事実教育が貧弱になったこと、新様式判決の導入により「当事者の主張」を裁判官が記述する必要がなくなったこと、の3つが主として挙げられている。
その上で解決策としては、最高裁が掲げる「合議の充実」のみでは不十分であり、訴訟代理人が期日において積極的に若手裁判官に指導することや、司法修習生による意欲的な要件事実の自学自習、司法の本質論・役割論の教育の充実等も必要とされている。
2 本書の主張に対する評者の感想
2-1 要件事実をめぐる筆者の主張について
評者はかつての要件事実教育を知らないので、適切に評価することは難しい。それを承知で言えば、『要件事実問題集』の内容と、評者自身が経験した法科大学院や司法修習の内容とを比較すると、後者ではそれほど詳細な要件事実を問われることがなかったように思う。司法修習では、精緻な主張整理というよりも、民事訴訟の動的な進行を踏まえて、争点の絞り込みとそれに対する事実認定を求められることが多かったというのが感想である。そうすると、要件事実についての教育が以前よりも不足していたというのは、少なくとも大きく間違ってはいないのかもしれない。
しかし、それは、「他に勉強することが増えた」という事情も多分にあるのではないか(司法試験の科目数は旧試験よりも増えているし、合格者が増えたとはいえ内容自体は難しくなっている)。そして、裁判官に必要とされる能力は、要件事実の知識に尽きるものではない(手続法や基本法以外の実定法の理解や、事実認定能力も要求される)のだから、仮に要件事実についての知識が少なくなっているのだとしても、その一面をとって「劣化」と評価するのは疑問である。
新様式判決についていえば、少なくとも判決書を作成する上で、要件事実をそのまま記載する必要がなくなったのは事実といえる。もっとも、導入の理由としては、非法曹にわかりやすい判決書にする(116頁)ということがあったが、筆者が当事者の便宜をあまり重視していないように見えるのは気になるところである。
2-2 「司法の本質論・役割論」について
筆者によれば、司法の役割は、少数者の権利や自由を守るということのようである(158頁)。ここでは、以下の三点を指摘したい。
まず、(些末なことを承知でいえば)「少数者の」権利や自由という表現に問題があることを指摘したい。権利や自由(憲法においては基本的人権といわれる)は、人であることによって認められるものである。人権を享有するのは一般的な人間(更に進んで個人というべきか)であって、「少数者」か否かは関係がない。確かに、現実においては、少数者が人権を侵害されることが多い。しかし、少なくとも理論的には、「『少数者の』権利や自由と記すことには問題があり、その点を看過しているのには、筆者の考察の不十分さが顕れているといえよう。
次に、以前の裁判所では、「司法の本質論・役割論」が本当に理解されていたのかが疑問である。筆者によれば、かつては飲み会でそのような話題が出てくることが多かったが、現在の裁判官はあまり語りたがらないという。しかし、話題にしたがるか否かと、真に理解しているかは別の話であろう。もし、かつての裁判官が司法の役割を理解していたのであれば、以前は行政訴訟で原告を勝たせたり、刑事事件で無罪判決を出したり、ということが多かったということでなければおかしいが、そのような話は寡聞にして聞かない(例外的だったからこそ「藤山コート」が注目されたのではないか)。かえって、刑事において、勾留請求却下、勾留決定に対する準抗告認容、保釈許可決定等の割合が近年増加していることからすれば、むしろ最近の方が権利や自由に対する理解が進んでいるといえるではないか(「昔の裁判官は仲間には大層なことを言うのに、実際は違うことをやっていたんですね」と嫌味を言いたくもなってしまう)。筆者の主張は、事実に裏打ちされていないように思える(主張と論拠を区別したうえで主張には相応の論拠が必要とされる、という民事訴訟の原則は筆者は理解されていないのですね、とこれまた嫌味を言いたくもなる)。
最後に、要件事実に関する筆者の主張との関係が不明瞭である。要件事実論は、つまるところ現在の実定法についての解釈を扱うものである。要件事実にこだわると、既存の法令やその解釈にとらわれないことも要求される権利保護という役割については、これを妨げることにもなるのではないか。もちろん、「型を知らなければ型を破れない」(いわゆる守破離)という方向で両者を統一することは可能であろうし、評者もそれが妥当だと考えている。しかし、一種の緊張関係があるのは確かだろう。筆者がそれについてシリアスに考えているようには読めない。
2-3 その他
そもそも、裁判官も生身の人間である。それにもかかわらず、人間に対して「劣化」という、一般的には物に用いられる語を用いることは、若手裁判官の人格を尊重していない態度であろう(本レビューでは、この点に配慮してカギカッコを使って「劣化」と表記した)。結局のところ筆者は若手に対してマウンティングがしたいのではないか、と穿った見方をしてしまう。
その他にも、長々とここで挙げるのは避けるが、内容的に不正確な記述や、論拠なく強い主張をしていると思える記述、そして本書の他の箇所と整合しない記述が目立つ。それは、筆者の考察の不十分さが顕れているものもあるが、筆者の知的不誠実さに由来すると評価せざるをえない(平たく言えば、正確さを犠牲にして印象操作をしたいのではないかと思われる)ところもある。
一例だけ挙げれば、138頁で挙げられている大島論文は、本書の記述からするとハマキョウレックス事件最高裁判決を批判しているように読めるが、実際の批判対象は司法研修所の見解であって、同判決ではない(そう読めるように書いたのは、同判決を批判している裁判官が自分だけではないと強く主張したいからであろうが、正確さを犠牲にしてそのように記述するのが不誠実だということである。司法研修所の見解と同判決が同旨であっても、その点は区別すべきである)。
3 結
退官後の裁判官が回想録を著すことはこれまでもあったが、本書は現役裁判官による、裁判官内部の雰囲気を伝えるもので、類書はあまり見られない。この点で、貴重なものといえる。また、『要件事実マニュアル』執筆の経緯も興味深い。要件事実の基礎にも触れられているので、民事訴訟の入門書としても利用しうるだろう。
しかし、同時に、本書の記述には多くの問題がある。これで厳しく批判されている若手裁判官は良い面の皮だろう。
したがって、積極的に同書を薦めることは難しく、星2つとした。
1-1 筆者について
筆者は現役裁判官で、『要件事実マニュアル』『要件事実問題集』等の著者として法曹にはかねてから有名だった。評者も、法科大学院在学中に、『要件事実問題集』を友人との勉強会で利用していた。
一般には、ツイッターでの投稿を理由とする分限裁判や弾劾手続の対象となった人物として有名になった(念のため言えば、評者は、当該分限裁判や弾劾手続には批判されるべき点が少なからずあると思っている)。
1-2 本書の内容について
第1章には、著者の半生が記されている。大学生の頃に「寺子屋」で教えていたことや、任官後の経験、『要件事実マニュアル』執筆の経緯等に触れられている。
第2章以下は、裁判官が「劣化」していることや、その原因、「劣化」を避けるための方策について記されている。著者の主張によれば、裁判官は「劣化」しており、ここでいう「劣化」とは、第一に要件事実の知識が不十分な裁判官が増えたこと、第二に司法の本質論・役割論(少数者の権利保護)の理解に欠ける裁判官が増えたことを意味するようである。
「劣化」の理由としては、「飲みニケーション」が減って先輩裁判官から「智」を口頭で伝承される機会がなくなったこと、司法修習での要件事実教育が貧弱になったこと、新様式判決の導入により「当事者の主張」を裁判官が記述する必要がなくなったこと、の3つが主として挙げられている。
その上で解決策としては、最高裁が掲げる「合議の充実」のみでは不十分であり、訴訟代理人が期日において積極的に若手裁判官に指導することや、司法修習生による意欲的な要件事実の自学自習、司法の本質論・役割論の教育の充実等も必要とされている。
2 本書の主張に対する評者の感想
2-1 要件事実をめぐる筆者の主張について
評者はかつての要件事実教育を知らないので、適切に評価することは難しい。それを承知で言えば、『要件事実問題集』の内容と、評者自身が経験した法科大学院や司法修習の内容とを比較すると、後者ではそれほど詳細な要件事実を問われることがなかったように思う。司法修習では、精緻な主張整理というよりも、民事訴訟の動的な進行を踏まえて、争点の絞り込みとそれに対する事実認定を求められることが多かったというのが感想である。そうすると、要件事実についての教育が以前よりも不足していたというのは、少なくとも大きく間違ってはいないのかもしれない。
しかし、それは、「他に勉強することが増えた」という事情も多分にあるのではないか(司法試験の科目数は旧試験よりも増えているし、合格者が増えたとはいえ内容自体は難しくなっている)。そして、裁判官に必要とされる能力は、要件事実の知識に尽きるものではない(手続法や基本法以外の実定法の理解や、事実認定能力も要求される)のだから、仮に要件事実についての知識が少なくなっているのだとしても、その一面をとって「劣化」と評価するのは疑問である。
新様式判決についていえば、少なくとも判決書を作成する上で、要件事実をそのまま記載する必要がなくなったのは事実といえる。もっとも、導入の理由としては、非法曹にわかりやすい判決書にする(116頁)ということがあったが、筆者が当事者の便宜をあまり重視していないように見えるのは気になるところである。
2-2 「司法の本質論・役割論」について
筆者によれば、司法の役割は、少数者の権利や自由を守るということのようである(158頁)。ここでは、以下の三点を指摘したい。
まず、(些末なことを承知でいえば)「少数者の」権利や自由という表現に問題があることを指摘したい。権利や自由(憲法においては基本的人権といわれる)は、人であることによって認められるものである。人権を享有するのは一般的な人間(更に進んで個人というべきか)であって、「少数者」か否かは関係がない。確かに、現実においては、少数者が人権を侵害されることが多い。しかし、少なくとも理論的には、「『少数者の』権利や自由と記すことには問題があり、その点を看過しているのには、筆者の考察の不十分さが顕れているといえよう。
次に、以前の裁判所では、「司法の本質論・役割論」が本当に理解されていたのかが疑問である。筆者によれば、かつては飲み会でそのような話題が出てくることが多かったが、現在の裁判官はあまり語りたがらないという。しかし、話題にしたがるか否かと、真に理解しているかは別の話であろう。もし、かつての裁判官が司法の役割を理解していたのであれば、以前は行政訴訟で原告を勝たせたり、刑事事件で無罪判決を出したり、ということが多かったということでなければおかしいが、そのような話は寡聞にして聞かない(例外的だったからこそ「藤山コート」が注目されたのではないか)。かえって、刑事において、勾留請求却下、勾留決定に対する準抗告認容、保釈許可決定等の割合が近年増加していることからすれば、むしろ最近の方が権利や自由に対する理解が進んでいるといえるではないか(「昔の裁判官は仲間には大層なことを言うのに、実際は違うことをやっていたんですね」と嫌味を言いたくもなってしまう)。筆者の主張は、事実に裏打ちされていないように思える(主張と論拠を区別したうえで主張には相応の論拠が必要とされる、という民事訴訟の原則は筆者は理解されていないのですね、とこれまた嫌味を言いたくもなる)。
最後に、要件事実に関する筆者の主張との関係が不明瞭である。要件事実論は、つまるところ現在の実定法についての解釈を扱うものである。要件事実にこだわると、既存の法令やその解釈にとらわれないことも要求される権利保護という役割については、これを妨げることにもなるのではないか。もちろん、「型を知らなければ型を破れない」(いわゆる守破離)という方向で両者を統一することは可能であろうし、評者もそれが妥当だと考えている。しかし、一種の緊張関係があるのは確かだろう。筆者がそれについてシリアスに考えているようには読めない。
2-3 その他
そもそも、裁判官も生身の人間である。それにもかかわらず、人間に対して「劣化」という、一般的には物に用いられる語を用いることは、若手裁判官の人格を尊重していない態度であろう(本レビューでは、この点に配慮してカギカッコを使って「劣化」と表記した)。結局のところ筆者は若手に対してマウンティングがしたいのではないか、と穿った見方をしてしまう。
その他にも、長々とここで挙げるのは避けるが、内容的に不正確な記述や、論拠なく強い主張をしていると思える記述、そして本書の他の箇所と整合しない記述が目立つ。それは、筆者の考察の不十分さが顕れているものもあるが、筆者の知的不誠実さに由来すると評価せざるをえない(平たく言えば、正確さを犠牲にして印象操作をしたいのではないかと思われる)ところもある。
一例だけ挙げれば、138頁で挙げられている大島論文は、本書の記述からするとハマキョウレックス事件最高裁判決を批判しているように読めるが、実際の批判対象は司法研修所の見解であって、同判決ではない(そう読めるように書いたのは、同判決を批判している裁判官が自分だけではないと強く主張したいからであろうが、正確さを犠牲にしてそのように記述するのが不誠実だということである。司法研修所の見解と同判決が同旨であっても、その点は区別すべきである)。
3 結
退官後の裁判官が回想録を著すことはこれまでもあったが、本書は現役裁判官による、裁判官内部の雰囲気を伝えるもので、類書はあまり見られない。この点で、貴重なものといえる。また、『要件事実マニュアル』執筆の経緯も興味深い。要件事実の基礎にも触れられているので、民事訴訟の入門書としても利用しうるだろう。
しかし、同時に、本書の記述には多くの問題がある。これで厳しく批判されている若手裁判官は良い面の皮だろう。
したがって、積極的に同書を薦めることは難しく、星2つとした。
2019年3月26日に日本でレビュー済み
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「最近になって、判決理由がロジックを間違えているという指摘が度々される」(本書108頁)ようになったことに対して、本書は、その要因を検討している。著者は、その一つとして「飲みニケーションの終焉」(本書110頁)をあげており、「思い出話」(本書25頁)としてもそれは語られている。これに対して、本書の書評の中には、これをノスタルジーにすぎないとみる向きもある。
しかし、国民としては、「飲みニケーションの終焉」を、裁判官に対する表現の自由の制約がもたらした一つの表象として捉えるべきである。たしかに、本書では、裁判官に対する表現の自由の制約と、劣化が疑われる裁判官の状況との間の因果関係を、クリアに説明されていないかもしれない。そうであっても、司法サービスの低下が疑われる中で、議会がさらに裁判官の表現の自由をより脅かそうとしている今、現役裁判官の憂鬱な思いが記された本書を契機に司法の在り方について考えていくことが、我々にとって有益であろう。(40歳代、会社経営者)
しかし、国民としては、「飲みニケーションの終焉」を、裁判官に対する表現の自由の制約がもたらした一つの表象として捉えるべきである。たしかに、本書では、裁判官に対する表現の自由の制約と、劣化が疑われる裁判官の状況との間の因果関係を、クリアに説明されていないかもしれない。そうであっても、司法サービスの低下が疑われる中で、議会がさらに裁判官の表現の自由をより脅かそうとしている今、現役裁判官の憂鬱な思いが記された本書を契機に司法の在り方について考えていくことが、我々にとって有益であろう。(40歳代、会社経営者)
2019年3月5日に日本でレビュー済み
タイトルは過激だが、中身は岡口判事の半生と、裁判官の要件事実教育に関する過去の歴史を踏まえたうえでの、常識的な提言の話である。
中間には、裁判所での要件事実の基礎理論が展開されているが、この部分が必要だったか否かは不明。
岡口判事には、「要件事実マニュアル」でお世話になっているので、元々、裁判官の枠に収まらない積極的な行動力と、博愛精神が、どこから来ているのか興味があった。
岡口判事の半生、とくに、東京大学在学中に、近所の子供達に勉強を教えて学費を稼ぎながら司法試験を受験していたという経験が、のちに「要件事実マニュアル」で世に出ることに生かされたと知った。
また、そのころに、エリートどころか、勉強の「べ」の字も知らないような子供に根気強く勉強を教えたという経験が、のちに、「脳脊髄液減少症」についての画期的な裁判を主導するような、弱者に対する理解を育てたように思う。
また、ツイッター事件などで、あれほど裁判所からいじめられているのに、いまだに裁判官を続けられているという強心臓というか、忍耐力は、そういう学生時代の経験からきているのだろうか。
第1章のラストにおいて、基一という名前がキリストに由来するという話をしているあたりは、やはり、ツイッター事件をはじめとする最近の出来事のなかで、キリストの受難を思い起こしているように思う。
第2章において「智」という言葉がタイトルに2回使われている。
通常、こういう場合には、「知」を使うものであるし、文中にも他に「知」という言葉が使われている。
したがって、岡口判事は、ここで、「知」と「智」を区別して使用している。
ここでいう「智」とは、いわゆる暗黙知であり、昔の裁判官が時間をかけて「体得」するほかなかった、
世の中に唯一無二の裁判の技術のことである。
本文の中にも、なんどか「オーラル・ヒストリー」の話が出てくるので、岡口判事も当然に意識していると思うのだが、岡口判事が書きたかったのは、
・岡口判事の見聞きした、古き良き裁判官の実情
・今は再現が難しくなった、旧様式判決の高度な技術(現代の技術をもってしても再現できない古代のオーパーツのようなものか)
・要件事実そのもの
についての、「オーラル・ヒストリー」であろうか。
そして、第1章にて、キリストの受難を思い起こしていることを考えれば、本書にて書きたかったのは現代に生きるキリストのオーラル・ヒストリーであろうか。
キリストそのものは歴史上の人物だが、「キリスト的」な生き方は、現代の人間もおこなうことができる。
そのときに、単に、権力にいじめられているとか、閉鎖的な組織の中で息苦しいという、マイナスな気分で生きていると生きるのがつらくなるが、そうではなく、「これは試練である」「キリストも、こういう生き方をしていただろうか」という捉え方をすれば、それは殉教であり、崇高で歴史的な体験となる。
普通の裁判官だったら、現在の状況には精神的にもたないと思うが、岡口判事は、そのように考えることで、自ら鼓舞しているように思う。
中間には、裁判所での要件事実の基礎理論が展開されているが、この部分が必要だったか否かは不明。
岡口判事には、「要件事実マニュアル」でお世話になっているので、元々、裁判官の枠に収まらない積極的な行動力と、博愛精神が、どこから来ているのか興味があった。
岡口判事の半生、とくに、東京大学在学中に、近所の子供達に勉強を教えて学費を稼ぎながら司法試験を受験していたという経験が、のちに「要件事実マニュアル」で世に出ることに生かされたと知った。
また、そのころに、エリートどころか、勉強の「べ」の字も知らないような子供に根気強く勉強を教えたという経験が、のちに、「脳脊髄液減少症」についての画期的な裁判を主導するような、弱者に対する理解を育てたように思う。
また、ツイッター事件などで、あれほど裁判所からいじめられているのに、いまだに裁判官を続けられているという強心臓というか、忍耐力は、そういう学生時代の経験からきているのだろうか。
第1章のラストにおいて、基一という名前がキリストに由来するという話をしているあたりは、やはり、ツイッター事件をはじめとする最近の出来事のなかで、キリストの受難を思い起こしているように思う。
第2章において「智」という言葉がタイトルに2回使われている。
通常、こういう場合には、「知」を使うものであるし、文中にも他に「知」という言葉が使われている。
したがって、岡口判事は、ここで、「知」と「智」を区別して使用している。
ここでいう「智」とは、いわゆる暗黙知であり、昔の裁判官が時間をかけて「体得」するほかなかった、
世の中に唯一無二の裁判の技術のことである。
本文の中にも、なんどか「オーラル・ヒストリー」の話が出てくるので、岡口判事も当然に意識していると思うのだが、岡口判事が書きたかったのは、
・岡口判事の見聞きした、古き良き裁判官の実情
・今は再現が難しくなった、旧様式判決の高度な技術(現代の技術をもってしても再現できない古代のオーパーツのようなものか)
・要件事実そのもの
についての、「オーラル・ヒストリー」であろうか。
そして、第1章にて、キリストの受難を思い起こしていることを考えれば、本書にて書きたかったのは現代に生きるキリストのオーラル・ヒストリーであろうか。
キリストそのものは歴史上の人物だが、「キリスト的」な生き方は、現代の人間もおこなうことができる。
そのときに、単に、権力にいじめられているとか、閉鎖的な組織の中で息苦しいという、マイナスな気分で生きていると生きるのがつらくなるが、そうではなく、「これは試練である」「キリストも、こういう生き方をしていただろうか」という捉え方をすれば、それは殉教であり、崇高で歴史的な体験となる。
普通の裁判官だったら、現在の状況には精神的にもたないと思うが、岡口判事は、そのように考えることで、自ら鼓舞しているように思う。