原告として、初めて裁判に臨もうとする者です。
小手先のテクニックが書かれているであろう書籍が多い中、また裁判に関して自分の不安や疑問に応える窓口が弁護士のみしか見当たらない中、争いたい事項とは全く別種の「裁判とは何であり、どういうものかを、どのようにして知るか」といった悩みを抱える負担は小さくありません。最初に手に取った書籍が本書で良かったと思います。
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民事裁判入門 裁判官は何を見ているのか (講談社現代新書) Kindle版
この一冊で裁判の奥義と核心がわかる!学生、ビジネスパースン、実務家、訴訟当事者・関係者必携の一冊! 多くの日本人にとって、訴訟は「何だかよくわからない、あまり関係したくないもの」である。しかし、インターネットの書き込み一つで民事訴訟を提起されたり、企業でも海外取引を行えば渉外紛争に巻き込まれたりするのが現代社会である。あなたが民事訴訟に関わるとする。弁護士がその時々で何をやっているのか、当事者の供述や証人の証言を聞くときに、あなたの発言はどのような意味を持っているのか。提示された和解案にしたがうべきなのか。訴訟の流れ、各場面で何が行われているかといった知識が不足しているために、思ったような結果を得られず、後になって不満を抱く人は少なくない。本書は、元裁判官である著者が、33年におよぶ裁判官経験がなければ得られなかったリアルな司法の実態を踏まえ、訴えの提起から判決まで裁判はどのように進んでゆくのか、裁判官、弁護士が行っていることについての理解を助けようとする画期的な入門書である。信頼できる弁護士の選び方とは? 裁判官はどのように争点を整理しているのか?効果的な主張のポイントとは? 反対尋問のコツは? 新しい判例はどのように作られるか? 和解の弊害は?高裁、最高裁は機能しているか?……裁判の基礎知識から訴訟の高等戦術まで、元裁判官の城山三郎賞受賞作家が民事訴訟のノウハウを伝授する。衝撃の話題作『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』につづく強力第3弾!
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2019/7/17
- ファイルサイズ2784 KB
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商品の説明
著者について
瀬木 比呂志
1954年、名古屋市生まれ。東京大学法学部卒。1979年以降裁判官。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。著書に、司法の構造的批判・分析『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(第2回城山三郎賞受賞)(ともに講談社現代新書)、『裁判所の正体』(清水潔氏との対談、新潮社)、一般書の総論『裁判官・学者の哲学と意見』(現代書館)、リベラルアーツ関連の『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)と『教養としての現代漫画』(日本文芸社)、小説『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社)、また、専門書として、『民事訴訟法』『民事保全法』『民事訴訟の本質と諸相』『民事訴訟実務・制度要論』『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』(いずれも日本評論社)等がある。
1954年、名古屋市生まれ。東京大学法学部卒。1979年以降裁判官。2012年明治大学教授に転身、専門は民事訴訟法・法社会学。在米研究2回。著書に、司法の構造的批判・分析『絶望の裁判所』『ニッポンの裁判』(第2回城山三郎賞受賞)(ともに講談社現代新書)、『裁判所の正体』(清水潔氏との対談、新潮社)、一般書の総論『裁判官・学者の哲学と意見』(現代書館)、リベラルアーツ関連の『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)と『教養としての現代漫画』(日本文芸社)、小説『黒い巨塔 最高裁判所』(講談社)、また、専門書として、『民事訴訟法』『民事保全法』『民事訴訟の本質と諸相』『民事訴訟実務・制度要論』『ケース演習 民事訴訟実務と法的思考』(いずれも日本評論社)等がある。
登録情報
- ASIN : B07TYF6CFD
- 出版社 : 講談社 (2019/7/17)
- 発売日 : 2019/7/17
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2784 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 265ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 90,902位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 463位法律入門
- - 469位法律 (Kindleストア)
- - 520位講談社現代新書
- カスタマーレビュー:
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上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月13日に日本でレビュー済み
レポート
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2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
役に立った
2022年2月26日に日本でレビュー済み
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孫氏曰く。「兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべかざなるなり」
司法とは関係ない、この有名な孫氏の兵法の言葉を唐突に抜粋したが、本人訴訟の裁判(一審、二審、簡易2件)を経験した上で、本書のレヴューをしたい。
確かに、今日の裁判制度は、一日してならず、長い年月と英知を基盤にして運営されている。
だが、しかし、はたして今の司法制度自体には、訴訟法上の法体系は問題はなく、民意や社会に応えているものであろうか。制度疲労や、本末転倒がないのであろうか。
たとえば、訴訟手続きは形骸化している。公判(公開裁判)や弁論などは狭義に都合よく運用され、また時代にも適応していない。公判であればネット視聴化すべきであり、書面(準備)のやり取りだけの公判なら、弁論という言語は使用すべきない、あまりに形式的に儀式のように運用され、時間だけだらだら続く。3人制は名ばかりで、裁判長が主体に運用され、裏での議論が蓋を開ける(判決)まで視覚化できない。
ジェネラリストとスペシャリストとういう言葉があるが、専門家たる集団に、自己改革や自浄作用を求めることは、歴史的に困難で、期待できないことは歴史的な事実である。
例えば、一票の格差裁判がマスコミでもニュースとして流れているが、管轄裁判所やその裁判官によって真逆の判決が出る。一審、二審と全国でバラバラに何年も費やし、いずれ最高裁にいくのだろうが、「無駄な」論争が続き、民意が反映しない選挙が全国で展開されていく。それを不思議に思われない、こと自体、問題がないのだろうか。
個人的な経験から、裁判での審議手続きの改善策を言えば、一般的に訴状から公判にいくことが通常の流れだが、準備書面の交換だけの従来の慣行的な「形式」だけの公判は形骸化し時間の浪費と無駄な儀式で、裁判官の職務怠慢の土壌にもなっている(いたずらに長引かせ、書面もまともに読まず、もろもろ隠蔽できる)ので、公判前に公判準備期日(別室の小部屋)で、裁判の進行を司会役の裁判官を交えるが、あくまで被告と原告が主体(処分権主義と弁論主義)となって進行プラグラム計画を決める、ようにすべきだ。これだけでも、審議はずっと生産的になり、時間の浪費がなくなり公平性、正確性が担保できる。
そう、私が言いたいことは、司法制度は「国」の大事なのです。法治民主国家として、国の運営を行い、国際社会に対して、模範となるような先進性と健全性をアピールしていくことが、何より国益と公共の利益にかなうのです。
裁判が長くかかり、担当裁判官の属性(思想信条)等で判決が異なること自体が大問題であるのに、制度改良や抜本改革の議論すらみられない現状から、タブーなき、聖域なき議論していかなければなりません。
著者の本での問題提起の数々は、固陋たる司法界の中では、勇気のいることでもあり、尊敬に値します。そのうえで、それらを共有し、考えてみようと思いました。
司法とは関係ない、この有名な孫氏の兵法の言葉を唐突に抜粋したが、本人訴訟の裁判(一審、二審、簡易2件)を経験した上で、本書のレヴューをしたい。
確かに、今日の裁判制度は、一日してならず、長い年月と英知を基盤にして運営されている。
だが、しかし、はたして今の司法制度自体には、訴訟法上の法体系は問題はなく、民意や社会に応えているものであろうか。制度疲労や、本末転倒がないのであろうか。
たとえば、訴訟手続きは形骸化している。公判(公開裁判)や弁論などは狭義に都合よく運用され、また時代にも適応していない。公判であればネット視聴化すべきであり、書面(準備)のやり取りだけの公判なら、弁論という言語は使用すべきない、あまりに形式的に儀式のように運用され、時間だけだらだら続く。3人制は名ばかりで、裁判長が主体に運用され、裏での議論が蓋を開ける(判決)まで視覚化できない。
ジェネラリストとスペシャリストとういう言葉があるが、専門家たる集団に、自己改革や自浄作用を求めることは、歴史的に困難で、期待できないことは歴史的な事実である。
例えば、一票の格差裁判がマスコミでもニュースとして流れているが、管轄裁判所やその裁判官によって真逆の判決が出る。一審、二審と全国でバラバラに何年も費やし、いずれ最高裁にいくのだろうが、「無駄な」論争が続き、民意が反映しない選挙が全国で展開されていく。それを不思議に思われない、こと自体、問題がないのだろうか。
個人的な経験から、裁判での審議手続きの改善策を言えば、一般的に訴状から公判にいくことが通常の流れだが、準備書面の交換だけの従来の慣行的な「形式」だけの公判は形骸化し時間の浪費と無駄な儀式で、裁判官の職務怠慢の土壌にもなっている(いたずらに長引かせ、書面もまともに読まず、もろもろ隠蔽できる)ので、公判前に公判準備期日(別室の小部屋)で、裁判の進行を司会役の裁判官を交えるが、あくまで被告と原告が主体(処分権主義と弁論主義)となって進行プラグラム計画を決める、ようにすべきだ。これだけでも、審議はずっと生産的になり、時間の浪費がなくなり公平性、正確性が担保できる。
そう、私が言いたいことは、司法制度は「国」の大事なのです。法治民主国家として、国の運営を行い、国際社会に対して、模範となるような先進性と健全性をアピールしていくことが、何より国益と公共の利益にかなうのです。
裁判が長くかかり、担当裁判官の属性(思想信条)等で判決が異なること自体が大問題であるのに、制度改良や抜本改革の議論すらみられない現状から、タブーなき、聖域なき議論していかなければなりません。
著者の本での問題提起の数々は、固陋たる司法界の中では、勇気のいることでもあり、尊敬に値します。そのうえで、それらを共有し、考えてみようと思いました。
2024年3月23日に日本でレビュー済み
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元裁判官が描く裁判の流れ。
もう少し具体的な例や表現があれば、私にももう少し理解ができたかもしれない。
著者の法律家としてのキャリアから見れば、かなり具体的に門外漢にもわかる記述にしたのであろう。しかし、法律に興味を持った程度の人間が読んだところでお経のありがたみしか湧いてこない。
持って回った著者の表現には関係者への配慮によるものなのだろうが、それが理解の妨げにもなっているように感じられる。
他の方のコメントに「著者の自慢話」が気になったとあるが、私はそれほど気にならなかった。元裁判官で現学者という立場の人間から見た裁判制度とはどう見えているのだろうかということに興味があり、購入したからかもしれない。
もう少し具体的な例や表現があれば、私にももう少し理解ができたかもしれない。
著者の法律家としてのキャリアから見れば、かなり具体的に門外漢にもわかる記述にしたのであろう。しかし、法律に興味を持った程度の人間が読んだところでお経のありがたみしか湧いてこない。
持って回った著者の表現には関係者への配慮によるものなのだろうが、それが理解の妨げにもなっているように感じられる。
他の方のコメントに「著者の自慢話」が気になったとあるが、私はそれほど気にならなかった。元裁判官で現学者という立場の人間から見た裁判制度とはどう見えているのだろうかということに興味があり、購入したからかもしれない。
2021年6月17日に日本でレビュー済み
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裁判に出廷する必要がある人も一読しておくべき本、と思わせるぐらい、ノウハウ本的なレベルの低い本と一線を画した裁判の仕組みを理解できる実務書。
2019年7月26日に日本でレビュー済み
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今まで弁護士に相談しなければわからない法律上の手続きがおぼろげながらわかってきました。
2022年5月2日に日本でレビュー済み
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民事裁判の実際を知りたくて購入し、読了しました。ほぼ期待通りの内容で星4つとしましたが、どうしても気になる点があって2つマイナスしました。それは、文中に散らばる”僕”という表現です。”僕の経験”、”僕の専門書”、”僕の論文”など、至る所に”僕”がでてきます。kindle版だったので”僕”を検索したら213個ありました。正直なところ、自慢話になってしまっていて、いいテーマなのに残念です。
2019年7月21日に日本でレビュー済み
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筆者は『プロローグ』で、「この本は、現代日本における民事訴訟実務の実際とそれを支える法的制度のエッセンス、また、広い意味での法的戦術の核心部分を、法学を学んだことのない一般読者にも理解できるように、できる限りわかりやすく、かつ正確、的確に解説する書物である」とするとともに、本書は、「法律を学ぶ学生や法律実務家、学者等にとっても意味のある内容となっている」としている。
その『プロローグ』で筆者は、本書の全14章のうち最後の2章以外は民事訴訟の第一審の進行に沿って書かれているとも述べているのだが、実際に本書を読み終えた私の率直な印象としては、これらの内容は、現在、実際に民事訴訟の提起を検討している人や、民事紛争を抱えている人以外の一般読者には、「素人相手に、ここまで細かく解説する必要があるのだろうか」と思わせるくらい必要以上に民事訴訟の専門的実務に深く入り込み過ぎているところがあっただけでなく、理屈っぽい解説も多かったように思う。この点については筆者も『プロローグ』で、「後半では、前半と比較すれば、専門的な記述がやや多くなっている」「記述されていることの内容は、一定程度高度なものを含んでいる」と認めている。
また、私は本文を読み始める前には、本書が一般読者向けであるとともに、法律実務家や学者にとっても意味のある内容になっているとする筆者の言を怪訝に感じていたのだが、この点については、民事訴訟の各段階において、裁判官や弁護士はどうあるべきかが、ときには一部の裁判官や弁護士への厳しい指摘とともにふんだんに語られていたので、「こうした内容ならたしかに」と納得はできた(ただ、そうした人たちが、『民事裁判入門』というタイトル名の本書を読むとは思えないのだが)。
ここでは、私が特に目を引かれ、弁護士や裁判官への思いを新たにさせられた筆者の厳しい指摘の一部を紹介しておきたい。
・複数の弁護士に相談しても無理と言われた場合に訴訟を行っても、「負け筋事案専門」の弁護士に引っかかってお金と時間を空費することになりやすい(53~54ページ)。
・当事者間に実際にはあまり争いのないような事案について性急に訴えの提起を勧める弁護士は、高額の報酬を得ることを目的としている場合もありうるから注意すべき(60ページ)。
・適切な訴訟指揮のできない裁判官のことをゴルフにたとえて「池ぽちゃ裁判官」と呼んだ弁護士たちがいた。そのレベルをさらに割った「池どぼ裁判官」の例も出てきているようだ(108~110ページ)。
・裁判官が事件処理件数をかせぐことを主な目的とする、あるいは裁判官の自己満足的な確信に基づく、和解の押しつけ、事実上の強要の弊害は、非常に大きい(238ページ)。
・若手裁判官で法律論を綿密かつ正確に展開できる人は全体の半分足らず、若手弁護士の場合には全体の四分の一程度という印象がある(301~302ページ)。
本書を読んでいると、筆者が、民事訴訟のあらゆる段階・場面における裁判官や弁護士の在り方などについて一家言を有している有能な裁判官であったことはよくわかったし(筆者の言葉の端々からも溢れる自信が感じられる)、筆者が本書で披露しているさまざまな理論も、納得できることばかりだったので、本書の私の内容的な評価は星5つだった。ただ、筆者が『プロローグ』で述べていた「法学を学んだことのない一般読者にも理解できるように、できる限りわかりやすく」と、「正確に」や「法律実務家、学者等にとっても意味のある内容」とは、本来相反した方向にあり、両立は難しいと思っていたのだが、やはり本書の内容は、法律の素人である読者にはレベルが高過ぎた感は否めなく、『民事訴訟入門』という本書のタイトル名の観点からは、星1つ減じるのが妥当だろうとも思わされた。
その『プロローグ』で筆者は、本書の全14章のうち最後の2章以外は民事訴訟の第一審の進行に沿って書かれているとも述べているのだが、実際に本書を読み終えた私の率直な印象としては、これらの内容は、現在、実際に民事訴訟の提起を検討している人や、民事紛争を抱えている人以外の一般読者には、「素人相手に、ここまで細かく解説する必要があるのだろうか」と思わせるくらい必要以上に民事訴訟の専門的実務に深く入り込み過ぎているところがあっただけでなく、理屈っぽい解説も多かったように思う。この点については筆者も『プロローグ』で、「後半では、前半と比較すれば、専門的な記述がやや多くなっている」「記述されていることの内容は、一定程度高度なものを含んでいる」と認めている。
また、私は本文を読み始める前には、本書が一般読者向けであるとともに、法律実務家や学者にとっても意味のある内容になっているとする筆者の言を怪訝に感じていたのだが、この点については、民事訴訟の各段階において、裁判官や弁護士はどうあるべきかが、ときには一部の裁判官や弁護士への厳しい指摘とともにふんだんに語られていたので、「こうした内容ならたしかに」と納得はできた(ただ、そうした人たちが、『民事裁判入門』というタイトル名の本書を読むとは思えないのだが)。
ここでは、私が特に目を引かれ、弁護士や裁判官への思いを新たにさせられた筆者の厳しい指摘の一部を紹介しておきたい。
・複数の弁護士に相談しても無理と言われた場合に訴訟を行っても、「負け筋事案専門」の弁護士に引っかかってお金と時間を空費することになりやすい(53~54ページ)。
・当事者間に実際にはあまり争いのないような事案について性急に訴えの提起を勧める弁護士は、高額の報酬を得ることを目的としている場合もありうるから注意すべき(60ページ)。
・適切な訴訟指揮のできない裁判官のことをゴルフにたとえて「池ぽちゃ裁判官」と呼んだ弁護士たちがいた。そのレベルをさらに割った「池どぼ裁判官」の例も出てきているようだ(108~110ページ)。
・裁判官が事件処理件数をかせぐことを主な目的とする、あるいは裁判官の自己満足的な確信に基づく、和解の押しつけ、事実上の強要の弊害は、非常に大きい(238ページ)。
・若手裁判官で法律論を綿密かつ正確に展開できる人は全体の半分足らず、若手弁護士の場合には全体の四分の一程度という印象がある(301~302ページ)。
本書を読んでいると、筆者が、民事訴訟のあらゆる段階・場面における裁判官や弁護士の在り方などについて一家言を有している有能な裁判官であったことはよくわかったし(筆者の言葉の端々からも溢れる自信が感じられる)、筆者が本書で披露しているさまざまな理論も、納得できることばかりだったので、本書の私の内容的な評価は星5つだった。ただ、筆者が『プロローグ』で述べていた「法学を学んだことのない一般読者にも理解できるように、できる限りわかりやすく」と、「正確に」や「法律実務家、学者等にとっても意味のある内容」とは、本来相反した方向にあり、両立は難しいと思っていたのだが、やはり本書の内容は、法律の素人である読者にはレベルが高過ぎた感は否めなく、『民事訴訟入門』という本書のタイトル名の観点からは、星1つ減じるのが妥当だろうとも思わされた。