【Tの分析】中曽根康弘元首相に関する一考察

2019/12/31 22:59
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2019年11月29日に101歳で亡くなった中曽根康弘元首相を「従一位」に叙し、「大勲位菊花賞頸飾」の授与することが、2019年12月27日の閣議で決まった。
受賞は2019年11月29日付とされる。
現行の憲法下で大勲位菊花賞頸飾が授与された首相経験者は、吉田茂氏、佐藤栄作氏に次いで三人目となる。
生前、中曽根康弘氏は、1997年に大勲位菊花大綬章(生存中に受章できる最高位といわれている)を受章している。
尚、中曽根康弘氏は1996年に「自民党の比例北関東ブロックにおける終身一位」を保証され、1997年(橋本政権=重要な点)に「大勲位菊花大綬章」を受章している。



中曽根政治

2019年11月29日の朝、中曽根康弘元首相が東京都内の病院で亡くなった。101歳だった。
中曽根康弘氏は、旧制静岡高校、東大(東京帝大法学部、矢部貞治氏の門下生)を卒業した(法学士)。
東大卒業後、内務省に入省、そして短期現役士官制度で海軍経理学校で教育を受け海軍主計中尉として任官後、海軍少佐として敗戦を迎え、内務省に復職した後に1947年の第23回衆議院議員総選挙に立候補し、当選した。その後、政治家人生を歩むことになった。
中曽根康弘氏は東大の恩師である矢部貞治(戦前・戦中、東京帝国大学法学部教授。敗戦後、東大の教授職を辞し、後に拓殖大学総長に就いた)氏の強い影響の下に、進路を選択したといわれている。衆議院議員に当選した後も、矢部貞治氏が亡くなるまで中曽根康弘氏は師事しており(政治のキャリアパスや政治行動等の選択等をはじめ、あらゆる面で師事していたといわれている)、矢部貞治氏が亡くなって後も中曽根康弘氏は教えを守っていたといわれている。
矢部貞治氏は1967年に亡くなった(1964年に拓殖大総長を辞している)が、中曽根康弘氏は1967年に第12代拓殖大学総長に就任した(その後、理事長・名誉総長の職にも)。
矢部貞治氏の蔵書や私文書(日記、メモ、手紙等々も含め)等は現在、中曽根康弘氏、中曽根家・中曽根派等と関係の深い政策研究大学院大学(中曽根・渡辺グループとの関係が深い。理事等の大学関係者や教授等の教職・研究職はその人脈が色濃い。そもそも創設に深くかかわっている)において保管されている。
矢部貞治氏の助言等や内務省人脈(中曽根氏は内務省警保局・特別高等警察関係にかかわっていたといわれている。そして、

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