歴史の相似形 〜ニッポン低国の未来は過去に予め示されているのかもしれない〜 現生人類が知る主な古代文明は、現在のエジプト、イラク、インド、そして中国に興ったが、その後の歴史は変動が激しく、古代エジプトはギリシャ系プトレマイオス朝に代わった後にローマ帝国に滅ぼされ、現在のイラクやシリアの古代ユーフラテス文明もペルシャ帝国やモンゴル系の元、トルコ系のオスマン帝国など、様々な領地に変化した。インドと中国は色々ありながらも、国家として連綿と続いている所は奇跡的である。インドと中国が粘り強い要因なのかもしれない。 国家としての「日本」は大体1,500年前後の歴史があると思われるが、古代の騒乱期を過ぎてから、400年弱続いた平安時代はかなり安定した時代と言える。平氏と源氏による武力闘争が始まる前までは、世界史でも極めて珍しい「武力で物事を解決しない」国家だった。平新皇将門による関東独立や藤原純友の乱などあったが、いずれも短期間で収束している。朝廷の権力闘争においても、藤原氏が武力で押さえつけたという記録があまり無く、極めて興味深い展開だ。平清盛出現以降、日本は長く武力が政権を支配する構造だったが、徳川幕府誕生により、武力以外の文明の発展が顕著となり、中華文明と並び立つ「一国一文明」を築き上げるに至った。欧米各国が一つのギリシャ・ローマ文明から生じた事を考えると、日本の一国一文明は快挙である。 日本は有史以降江戸時代まで、他国の干渉をほぼ受けずに成立した、世界史でも珍しい存在と言えよう。だが、1868年に起きた薩長土肥クーデターは、日本史上最大級の汚点と言うだけでなく、英国による干渉、果ては77年後に米英に占領されて属国化したと言う、無惨な結末をもたらした蛮行であった。明治初頭に言われた「御一新」とやらは、単に英国傀儡で西洋文化の猿真似をする、田舎者による政権強奪であった。ちなみに、「明治維新」と言う言葉は、昭和初期の陸軍皇道派が唱えたと言われる「昭和維新」から派生したもので、正式な歴史用語ではない。何をもって正式とするかは別にして、作者としては、「慶應明治クーデター」或いは「大義なき英国傀儡薩長土肥による政権強奪」とでも呼びたい。無知無教養な田舎者のお陰で、世界に冠たる日本の一国一文明は、西洋文化を真似たニッポン低国文化へと劣化してしまった。 明治時代まで葬式の衣服は白だったのに、欧米の真似をして黒にしたばかりでなく、結婚式もキリスト教式を真似て神式を東京神宮にて新たに作った。それまでの日本の伝統的な結婚式は宗教色が極めて薄い、所謂「人前式」が普通であった。夫婦同姓も欧米の真似だし、新暦で正月を祝うなど、徹頭徹尾西洋文化の模倣である。 愛読者の皆様方には意外に思われるかもしれないが、作者は保守を自認していないものの、着物を着たり伝統文化の芸道に入門している。和室で和服の正装をしながら伝統文化に触れると、不思議と心安まるものである。また、作者は中国文化に対しても畏敬の念を抱いている。中国語を学ぶ事でその一端を理解しようと努めている。中共が支配する中国大陸に於ける下劣な支那人に対する感情と、中華文明に対する認識は別物だ。特に古代日本人が漢字を中国から輸入した事は、日本が文化的に優れた物になった一因であろう。 秘書が死んだとか言う党首が率いる「ネット政党」や、ハゲが率いる自称保守政党などが最近出現しているが、この「保守」を気取る連中は、果たして日本の伝統文化である和服を着る事が出来るのだろうか?下手すれば一着も持っていないかもしれない。ハゲは和服を着ている事もあるようだが、取り巻きはどうなのだろうか?また、身分によって帯の締め方が異なるなど、その手の知識を持っているのだろうか?NHKの時代劇を視て頂くと分かるが、町人や百姓は「貝の口結び」で帯を締め、武家は「一文字」と決まっていた。現代の女性和装の主流である「太鼓」は大正時代に考案された物で、伝統的な帯の締め方ではない。今のニッポン低国人には、「貝の口結び」は浴衣の帯を締める方法だと思っているバカが居る。しかも、この結び方は関東と関西で左右逆となる。保守を気取る連中がこの手の日本文化に関する知識を持ち合わせていなければ、そいつは唯の時流に乗ろうとする似非保守の類いだと思えば良いだろう。 そもそも、天皇すら洋装しかしないので、そもそも保守が信じている天皇という存在ですら保守ではないのかもしれないが。 それに、
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歴史の相似形
〜ニッポン低国の未来は過去に予め示されているのかもしれない〜
現生人類が知る主な古代文明は、現在のエジプト、イラク、インド、そして中国に興ったが、その後の歴史は変動が激しく、古代エジプトはギリシャ系プトレマイオス朝に代わった後にローマ帝国に滅ぼされ、現在のイラクやシリアの古代ユーフラテス文明もペルシャ帝国やモンゴル系の元、トルコ系のオスマン帝国など、様々な領地に変化した。インドと中国は色々ありながらも、国家として連綿と続いている所は奇跡的である。インドと中国が粘り強い要因なのかもしれない。
国家としての「日本」は大体1,500年前後の歴史があると思われるが、古代の騒乱期を過ぎてから、400年弱続いた平安時代はかなり安定した時代と言える。平氏と源氏による武力闘争が始まる前までは、世界史でも極めて珍しい「武力で物事を解決しない」国家だった。平新皇将門による関東独立や藤原純友の乱などあったが、いずれも短期間で収束している。朝廷の権力闘争においても、藤原氏が武力で押さえつけたという記録があまり無く、極めて興味深い展開だ。平清盛出現以降、日本は長く武力が政権を支配する構造だったが、徳川幕府誕生により、武力以外の文明の発展が顕著となり、中華文明と並び立つ「一国一文明」を築き上げるに至った。欧米各国が一つのギリシャ・ローマ文明から生じた事を考えると、日本の一国一文明は快挙である。
日本は有史以降江戸時代まで、他国の干渉をほぼ受けずに成立した、世界史でも珍しい存在と言えよう。だが、1868年に起きた薩長土肥クーデターは、日本史上最大級の汚点と言うだけでなく、英国による干渉、果ては77年後に米英に占領されて属国化したと言う、無惨な結末をもたらした蛮行であった。明治初頭に言われた「御一新」とやらは、単に英国傀儡で西洋文化の猿真似をする、田舎者による政権強奪であった。ちなみに、「明治維新」と言う言葉は、昭和初期の陸軍皇道派が唱えたと言われる「昭和維新」から派生したもので、正式な歴史用語ではない。何をもって正式とするかは別にして、作者としては、「慶應明治クーデター」或いは「大義なき英国傀儡薩長土肥による政権強奪」とでも呼びたい。無知無教養な田舎者のお陰で、世界に冠たる日本の一国一文明は、西洋文化を真似たニッポン低国文化へと劣化してしまった。
明治時代まで葬式の衣服は白だったのに、欧米の真似をして黒にしたばかりでなく、結婚式もキリスト教式を真似て神式を東京神宮にて新たに作った。それまでの日本の伝統的な結婚式は宗教色が極めて薄い、所謂「人前式」が普通であった。夫婦同姓も欧米の真似だし、新暦で正月を祝うなど、徹頭徹尾西洋文化の模倣である。
愛読者の皆様方には意外に思われるかもしれないが、作者は保守を自認していないものの、着物を着たり伝統文化の芸道に入門している。和室で和服の正装をしながら伝統文化に触れると、不思議と心安まるものである。また、作者は中国文化に対しても畏敬の念を抱いている。中国語を学ぶ事でその一端を理解しようと努めている。中共が支配する中国大陸に於ける下劣な支那人に対する感情と、中華文明に対する認識は別物だ。特に古代日本人が漢字を中国から輸入した事は、日本が文化的に優れた物になった一因であろう。
秘書が死んだとか言う党首が率いる「ネット政党」や、ハゲが率いる自称保守政党などが最近出現しているが、この「保守」を気取る連中は、果たして日本の伝統文化である和服を着る事が出来るのだろうか?下手すれば一着も持っていないかもしれない。ハゲは和服を着ている事もあるようだが、取り巻きはどうなのだろうか?また、身分によって帯の締め方が異なるなど、その手の知識を持っているのだろうか?NHKの時代劇を視て頂くと分かるが、町人や百姓は「貝の口結び」で帯を締め、武家は「一文字」と決まっていた。現代の女性和装の主流である「太鼓」は大正時代に考案された物で、伝統的な帯の締め方ではない。今のニッポン低国人には、「貝の口結び」は浴衣の帯を締める方法だと思っているバカが居る。しかも、この結び方は関東と関西で左右逆となる。保守を気取る連中がこの手の日本文化に関する知識を持ち合わせていなければ、そいつは唯の時流に乗ろうとする似非保守の類いだと思えば良いだろう。
そもそも、天皇すら洋装しかしないので、そもそも保守が信じている天皇という存在ですら保守ではないのかもしれないが。
それに、